Welcome Guest 
山行記録 カレンダー
« « 2024 12月 » »
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 1 2 3 4
月別アーカイブ

- 山行記録

カテゴリ : 
執筆 : 
msc_kiroku2 2005-10-8 23:46
メンバー:西舘、門脇、両角、清野、森正彦(食当)、須藤功(記録、車)  10月8日(土)21時浦和駅東口に全員定刻通り集合、須藤のワゴン車に乗り、東北自動車道浦和ICへと向かう。途中、中山さんに因みクイーンズ伊勢丹にて買い物。なかなか車へ戻らない方がおり皆をイライラさせたが、なんとシャンパンを抱え込んでくる洒落者であり驚く。浦和ICに入るのにもたつき、道の駅「那須高原友愛の森」へ11時30分到着。トイレ横の休憩室(夜間のため閉室)の屋根の下で一杯飲んで、就寝。寝入る前に、トイレへ来る人たちがなにやら小声で話しながら通りすぎる。"こんな処で寝てるよ"と、どうやら電車の駅ならぬ、"道の駅"の新種のホームレスと思われたのだろうか?まあ、いいや、と思い寝入る。  翌朝6時前起床、一路甲子山温泉大黒屋へ向かう。7時半過ぎ大黒屋駐車場へ到着、入渓の準備を行い、8時5分出立。Tシャツの上に長袖1枚を着るが、遡行前は寒く感じる曇り空だ。アスファルト道路を100m程歩き、沢へ降り遡行する。新入りの私でもロープを必要としない滝、滑をいくつか乗り越えていく。そうこうする内に門脇さんが、「ぶなはり茸」をすこしづつ見つけては採りだす。それを見るに従い、皆の目がだんだん"きのこ目"へと変わっていく。黙々と皆が下を見ながら遡行していると、清野さんが"本沢に来ているぞ!"と声を上げる。そうだ、皆きのこで頭がいっぱいで、一里滝沢への出合いを通り過ぎてしまった。数十分程降りて9時5分に出合へ戻り、一里滝沢を遡上する。間もなく、4、5mのスダレ滝にあたり、森さんと私は、西舘さんのビレイで無事攀りきる。本山行中、ロープを出したのはここだけだった。  それ以降は専らきのこ採りである。いろいろなきのこを採っては捨てを繰り返し、私の持ってきた小さなきのこ図鑑もとり出し、雁首を揃えて皆で見入り、頭と"感"をフル回転させ、ああでもないこうでもないと言いながら、毒キノコ、毒無しキノコをふるいにかけていく。ツキヨ茸でも採って食べたりしたら、言わずもがな一発必殺だから、皆一様に真剣そのものである。しかし、それだけ真剣になるのなら、図鑑ぐらいはもっと多くの人が持って来てよさそうなものである。いわんや、きのこの種の特定に不可欠な樹木の分類ができるのかも怪しい。まともにキノコ採りの資格を持つのは門脇さんぐらいではあるまいか?とまあ、批判めいたことを書いてしまったが、そうではない。ともかく皆、大の大人が童心に帰り、目の色を変えているのである。かぶと虫やクワガタ取りに"夢中"であったあの頃ように。そうこうするうち、2、3の組に分かれた中から、ぶなはり茸以外にいくつかの"食用"きのこが選別、収斂されてきた。むきたけモドキ、ならたけモドキ、しめじ系モドキの3種。確たる自信が無いのでこの時点ではモドキである。以降は、ぶなはり茸とこの3種を中心に収集し、遡行していくこととなる。  ただ、一番多く採れたのは、やはり安心確実なぶなはり茸であった。一ヶ所、ぶなの倒木に群生したぶなはり茸を見た時は圧巻だった。門脇さんの"オーイ"の掛け声で行って見ると、沢水に近い急な傾斜地に直径80cm、長さ8m程の倒木の上に一面ぎっしりあの白いぶなはり茸が、採ってくれといわんばかりに生えている。4、5人で倒木に取り付いて採るも、すぐに袋が一杯になってしまい重くて片手では持っていられなくなる。お花畑ならぬ、まさにきのこ畑であった。各自の袋が一杯になり、一里滝本沢から宿営予定地である坊主沼避難小屋に一番近い処につめ上げられる左俣を遡行する。  この沢は不気味であった。ゲジゲジが岩の至る処に張り付いているのである。長さ3~4cmの死んでいるものも、生きて動めいているものもごっちゃにいて、手を着ける処がないほどである。西舘さんは指に巻きつかれたらしく閉口していた。これも地球温暖化を遠因とする一つなのだろうか?ゲジゲジとやり合いながら源頭へつめてからは、私にとって初めての(恐らく森さんにとっても)、薮漕ぎの始まりである。  始めのうちは、"これくらい(密度の低い)なら楽だなあ"という声があがったが、だんだんと濃くなるに従い、誰も何も言わなくなる。本で読んだり、話には聞いていたが、確かにこれはやっかいものだ。背丈を越える薮竹が立ち塞がり、手や足で何とか掻き分け、倒しても反動でビシッと顔に跳ね返ってくる。これでは眼がねのレンズが傷つくどころか、フレームごと吹っ飛びかねない。頭を寝かせて突っ込んでいくが、行く先を見据えるためどうしても顔を上げることが必要になる。目の前の薮竹ばかりに気をとられていると、踏みつけた薮竹に足元をとられすっころびそうになる。両手、両足、頭と文字通り全身を使って、しかも初めてなのでかなり力んでいて、沢の遡行より数倍エネルギーを使っている感じで息が上がる。 現在位置の特定も難しく、かなり目標の避難小屋から逸れてしまった感があったが、何とか尾根沿いの登山道に出られた時はホッとした。たかだが1時間程度の薮漕ぎであったが、こんなのが何時間も続いたらと思うとゾっとする。慣れるにはたくさんの授業料を払わねばならないのだろう。  登山道を南に進むこと4、5分、宿営地の坊主沼避難小屋へ14時過ぎに到着。小屋内に入り、土間上の板張りに腰掛け人心地つく。 中は20畳程で、入り口はいって手前に囲炉裏らしきスペースがあり、その左右に腰掛板が4m程渡り、それらの奥が奥行き2m強×幅4m程の板張りとなっている。今晩は快適に過ごせそうだ。一休みして間もなく、清野さんと西舘さんが、水汲みに出かける。近くに水場は無く、沼の水を汲んでくるが、ちょっと遠慮させて頂きたい感じである。門脇さんが水場を探しに行くと言われたので、付いていくことにする。登山道を北へ15分程下った処できれいな清水を見つけその晩、翌朝の食事分の水を汲んで帰ることができた。  その晩、というより夕方の膳は豪勢であった。4時ごろには天ぷらを揚げて食べ始める。食当森さんが用意した茄子、ピーマン、さつま芋、そして採ったきのこを揚げる。さつま芋が殊のほか好評で、勿論きのこも肉厚で歯ごたえがしっかりしていてとても旨かった。てんぷらの後は、味噌鍋にしてきのこを食べる。合わせ味噌がきのこに上品にマッチして良かった。春先の山菜と同様、自分で採ったきのこをその日の内にたらふく食べられるのは至上の喜びだ。量も売るほどあるので、食い意地の張った取り合いが起こる心配もない。一点気になったことと言えば、食べたキノコはぶなはり茸のみで、他のモドキ茸3種は一切口にしなかったことである。調理してみようかという話題にものぼらなかった。私は清野さんと一緒にむきたけモドキを採ったのだが、いま一つ食べてみようという積極的な気になれない。95%、いや98%程度間違いないと思えるのだが、あとの2%の確証がないため食べようと言い切れないのである。他の皆さんの気持ちがどうだったか定かでないが、恐らく似たような心境だったのではないか。  たら腹食べているところへ、5時半頃中高年男子3、女子1の4人組パーティーが小屋へ到着、同宿することとなる。食べ終えたところで眠くなり、3人が仮眠といって6時頃からシュラフに入り寝入りだす。残り3人は煙い焚き火の中、酒をちびりちびりとやりながら話し込むが、他のパーティーが7時に寝てしまったため、8時に寝入る。  翌朝6時前起床、朝食にラーメンを食べ、7時45分甲子温泉大黒屋へ向け下山する。数日来の雨で登山道はドロドロで滑り易く、気を遣いながら足を運び、9時50分に大黒屋到着。早速温泉に浸る。秘湯と呼ばれるだけあって、風呂場の上にはいかにも古く太い梁を使った天井がはしり、趣がある。混浴の大浴槽は湯船が広く、しかも底が深く湯量たっぷりで体の芯底まで温まる。風呂からあがり皆で大広間に集まる。当然のことながらビールが運ばれてくる。ここからは、"運転手は君(須藤)だ♪、社長〔車掌〕は僕だっ♪♪"の世界である。よく分ってきたのだから、覚悟は出来ている。東北道でルームミラー越しに見る皆さんの寝顔は、疲れた中にも充実したそれに見えた。
一里滝沢は小滝の続くこぢんまりとした沢です。
両角さんも復帰しての山行となりました。
たくさん生えているのですが、その度に図鑑とにらめっこ。
それでもブナハリタケの畑のような倒木を発見。
実はこっちのほうが美味しかったというナラタケを見逃しましたが。
避難小屋での宴会は実現しました。
甲子はもう秋です。紅葉も十分楽しんできました。 番外編?西那須野の小料理やさんにて  大黒屋を出た後、西那須野にある清野さん顔見知りの小料理さんに寄って昼食をとった。このお店のおかみさんは、実に心にくい気配りをお持ちで、料理の素材それを生かすセンス、味ともに最良であった。皆海鮮丼を頼んで頬張る。お金の話をするのは、はしたないが1,300円であの鮮度、中身の具がどんぶり一杯に盛られているのは驚きである。中トロ、カンパチ、うにまでが載っている。その上、膳には煮物、果物等の小鉢が幾つも載せられ、中にはアケビを調理したものがあり、果物鉢にはサルナシ(こくわ)が並べられていて、季節感、郷土感を感じさせる粋がある。  僕らがとってきたぶなはり茸も調理して頂いた。皿に盛られたきのこは、醤油、酒、砂糖で焼かれ、味がしっかりと付き、適度な歯ごたえのある料理へと変身していた。肉厚で少したんぱくなぶなはり茸の特徴を生かした絶妙な味であった。採ってきたモドキたけ3種も鑑定して頂いた。その結果はびっくりである。モドキがすべてとれて、まっとうなきのことなったのである。あらんことか皆高級きのことのことである。それを聞いて皆一様に残念がる。ならたけは結構いろいろなところで目にしたが、なんとなくうさんくさく、採るのを避けていたのである。極めつけは、薮漕ぎの最中に横たわっていた倒木にぶなはりたけの時と同じように、所狭しと生えていたのを皆でじいーと見入るだけで取り残してきたことである。むきたけも同様である。ぶなはりたけ、ならたけほど群生している処は無かったが、結構採ったつもりでいた。悔やまれるのは、清野さんが途中でおじけづいてしまい、あろうことか取ったものを"ちょっとこれは変だ"とか言って捨てだしたのである。私も同意した上でやったのでとやかく言えたものではないが..(清野さん、失礼なことを言ってスミマセン。でも事実なので)。でもまあ、一応私たちの目にくるいは無かったのである。それだけでも良しとせねば。これで来年からはレパートリーが3種類も増えるのだから。高級きのこ3種は、それほど大量ではなく、門脇さんの一声で、おかみさんに差し上げることにした。おかみさんにはとても喜んで頂き、めでたし、めでたし。  失礼ながらお店の名前は忘れてしまったが、那須方面へお越しの際は、清野さんにお聞きして是非寄って頂きたいお店である。 ※追記 那須の小料理屋は「萬歳楽」といいまして、今年の春まで東京・人形町にあったのです。 場所は那須塩原市箭坪(やつぼ)35?4で、電話は0254?99?2822です。あちら方面に行くことがあったらかおをだしてみてください。

カテゴリ : 
執筆 : 
msc_kiroku2 2005-10-2 15:31
メンバー 両角(単独) 両角宅から清水橋まで車で30分。下部か棡葉窪(ユズリハクボ)、伝名沢、ナナメイリ沢、石仁田沢、市道沢、石津窪の各出合を確かめながら本流を遡上する。 チガ沢に入るとすぐ15m滝がある。易しいが滑りやすく高度感がある。この先は3カ所ほど登山道が沢を横切っている。 しばらくすると4段25mの滝下に出る。直登できそうだがひとりではやばいので少し戻って登山道に這い上がる。トライアルバイクが駆け上がって来たのにはびっくり。

カテゴリ : 
執筆 : 
msc_kiroku2 2005-9-30 14:53

...この先は閲覧許可があるユーザーしか読めません

カテゴリ : 
執筆 : 
msc_kiroku2 2005-9-28 15:29
メンバー 中山 両角(記録) 28日23時、谷川岳登山指導センター着。木曜日なので誰もいないと思っていたが、先住民が5人もいる。南陵や変形チムニーを登るとのこと。 29日 一の倉沢出合の駐車場に6時着。テールリッジ取付への下降点には先行の2パーティがいる。今年の一ノ倉は雪が多く、ヒョングリの滝上部の雪渓はまだかなり厚みがある。 テールリッジを登り、取付点に行く。取付点は昨年登った中央カンテと同じく、中央稜取付から南陵テラスへ行く途中の烏帽子沢奥壁右端を一段上がった小テラス。 8時登攀開始。 1P 両角/ハング下バンドをトラバースし、テーブル状の岩から左に回り込んで登る。 2P 中山/フェースを左上した50mザイルいっぱいに伸ばす。中山氏やや直上しすぎてノーピンで10mも登ってしまう。あぶない、あぶない。 3P 両角/ここからが凹状岩壁。スラブ状フェースを登る。 4P 中山/凹状岩壁の核心。左側のホールドは細かく、右側のホールドは脆い。慎重に登らないとやばい。凹状岩壁の核心。 9時45分、4P終了点着。上部が崩壊しているのと、両角がリハビリ中なので、同ルートを懸垂下降する。ゆっくりと温泉につかって帰宅。

カテゴリ : 
執筆 : 
msc_kiroku2 2005-9-22 3:33
参加者門脇(CL) 西舘彰芳(SL)西舘章子(食) 須藤 樋田 上林 作田 青木(記録) 9月22日(木) 23時30分塩山駅を目安に集合。急遽不参加が出て結果8人が集まる。釜ノ沢経験者は門脇・青木・上林であとの5人は初めて。今晩は峡東タクシーを間借りする。お互い持っているノコの品定めなどしながら1時間ほど談笑。就寝1時。 9月23日(金) 6時起床。余裕を持って出発する。青木が出張帰りでノートパソコン持参だったため,WEBで天気予報をチェック。荷物は峡東タクシーにデポさせてもらう。6時45分にタクシー2台で出発。西沢渓谷入り口まで6180円。秋に入り朝は少々寒い。空は青空でわずかに鱗雲が出ている。2日目は天気が心配されているが,とりあえずいい出だしである。 8時入渓。身支度をしている間,単独と3人のパーティと出会う。鶏冠谷入り口を確認して左岸の登山道を行く。途中門脇さんを中心にキノコ採取が始まる。食べられるキノコを見つけることが今回のサブテーマとなる。上から見るゴルジュの水は青く美しい。ホラの貝沢は本流まで降りて登り返す。 山の神で休憩。高度計をあわせる。雲5%以下の青空で,暑くなりそうな気配。ここからの部分は滝もなく谷の間の徒渉が続く。谷は曲がりくねっているので時折地図で位置を確認する。地形図と実際の距離感覚の関係をとらえ地形を読む訓練になる。乙女の滝を確認。 東のナメ沢下で休憩。この時間日差しがまっすぐ入って美しい。みんなで取り付いて遊ぶ。水のないところを登るが,ナメは手がかりがわずかで靴底をどこまで信用できるかが試される。西舘さん青木は何とか1段目をクリアするが,須藤さんが途中身動きが取れなくなり,上林さんが後ろから足を支えたりしたがうまくいかず,結局門脇さんが上から人間支点でザイルをたらし,ゴボウで登らせる。須藤さんナメはこれまでにない経験と話す。上のほうに3人ほど取り付いているのが小さく見えた。 西のナメ沢下で休憩。何人か取り付くが,こちらは傾斜がきつく誰もうまくいかない。それを横目に門脇さんがステルスでスタスタ上っていったのには驚かされた。 大きな平らな釜の縁を滑らないように歩く。中には滑る者もいるが,たいした深さではないので初めから水の中を歩くのも手である。その釜に流れ込む速い流れを超えるが,慣れないと足を取られそうに感じる。その後トイ状の滝を登って越えるが,そこでは流される人が続出した。水流を恐れて溝をそれると傾斜がある分足元がおぼつかなくなるが,結局水流は超えなければいけないので片足を入れたとたん足を取られる。こういうところでは却って水流の強い溝の部分にしっかり足を差し込んだほうが,水圧が足を押さえてくれるので安定して登ることができる。最後に岩と岩の間から水が落ちているところを水圧を受けてずぶ濡れになりながら乗っ越して完了。 下流部は水量があり時折このような面白いところがある。あるところでは丸テーブルの形をした小滝を直登したが,水に覆われて見えないが,実はテーブルの下に足場がある。こういうところをぬれながら征服するのが水好きにはたまらない。 金山沢との分岐は,金山沢のほうが直線ルートなため気をつける。このあたりから曇ってきたが,谷が狭くなり木々の中に入ることもあって肌寒くなってくる。すぐ魚止めの滝だが,ここもナメの要素があってわずかな手がかりを元に這い上がり,巻く。その後有名な千畳のナメになる。雑誌にも取り上げられるきれいなところであるが,今日はすっかり曇りでよどんでしまっているのが残念。傾斜は緩やかだがわずかな足がかりがあるだけ。水流の中のフリクションが試される。この感覚がナメ好きにはたまらない。こういう時沢タビは足裏感覚がよく有利である。 段々になったナメ滝が続く。巻いたり巻かなかったりめいめい自由に進む。途中左から斜めに落ちる溝状の滝がある。今回は水流が多いようで油断すると下の釜にどぶんといってしまう。青木が挑戦し,水流の中の溝を手がかりにして長い間水を浴びていたので,そろそろ落ちるかという目で見られていたが,時間がかかりながらも突破する。 両門の滝は右俣。ここからのいくつかの大きな滝はザイルを出す。途中の人はフィックスロープにトラバース用のカラビナを通すだけの軽いセットで,最後の人だけ普通に確保する。ヤゲンの滝では青木も確保したが,久しぶりでとっさにシステムが思い浮かばず,自分が支点のシステムを作ってしまいとてつもなく操作に苦労した。やはり継続して使っていないと忘れるもので,それにはいたく反省した。 広河原に入って比較的すぐのところで露営設営。タープ一つに6人。ツエルトに2人が入る。人手が十分にあるので焚き火も料理も容易に進む。食当道を極めるという西舘章さんの料理は豚汁と炊き込みご飯。乾燥食材は有名だが粉末味噌というのが新しかった。9人分なので量は豊富にある。若い者が意欲的に消化するが,特に作田さんは底なしに食べられる。すっかり満腹になったところで,せっかく担ぎ上げたチタン板でウインナー大袋・「ホール」キャベツを消費することに。山に来て動き回っても,結果として太って帰るようである。重い荷物を運び上げ・降りた方,ご苦労さまでした。 夜になって空は晴れ上がったようで,天の川が見えた。青木は久しぶりに見たが,谷間で空が狭いのと星が多すぎるので星座は分からなかった。上林さんが最後まで起きて火の晩をされていた。 9月24日(土) 6時起床。朝一番に話題に上がったのが作田さんの「ツエルトに水をかけたのは誰だ」事件。夜中にツエルトにバシャッと水がかけられたという。そんな奴は誰もいない訳であるが,その後,昨晩の残りのウインナーやニンニクが何者かにかじられているのを発見。鹿の新しいフンも見つかり,夜中に動物・小動物が徘徊していたことが分かる。小便でもかけられたのだろう。 8時過ぎに出発。その後になって雨が降りだす。活動中は沢の中なので濡れるのは苦にもならず,夜降られなかった幸運に感謝した。2段20m階段状ナメ滝は右側の乾いた中をザイルを出して登る。上林さんがザイルを通して登っている他の人を助けるためにザイルなしで登ったり降りたりしていてなんて世話焼きの人だと皆で感心する。このあたりは特段難しくなくザイルを待っていられない人が勝手に登るようになっている。なお,水流の中・左端で直登できる。 途中木々が組み合わさって行き先を阻んでいるところに出る。以前はこんなに荒れていなかったように思うのでここ数年の台風かではないかと思う。門脇さんは大勢を連れて右岸を巻くが,青木と上林さんは木々の間に踏み跡らしきものを見つけ中を抜ける。それほど苦労はない。木賊沢を分けて50mナメ滝では一同左岸の小路を巻く。青木は単独登りきるが,長いルート途中段がほとんどないため万が一の時はどこまでも落ちてしまうと思うと恐ろしい。源頭部近くもうすぐポンプ小屋というところで右岸が大きく崩れ,森が開け岩がごろごろと流れを埋め尽くしていた。先の木々がごろごろしていたのはここから流れ出したものか。 ポンプ小屋で装備を解く。行動食を取ったり水を補給したりゆっくりと過ごす。このあたりでは雨は止んでいる。その後は快適な登山道を登る。元気な者が行く予定だった甲武信岳の名は誰からも出なかった。木賊山頂を回り,下山始まったころの見晴台では雲の上にでた。雲海の中で富士山は見えない。以降雲の中を下山する。 広瀬で近丸新道と徳ちゃん新道が分ける。この休憩で須藤さんがヘルメットを落とし,なかなか止まらず結構下まで転がっていった。見捨てることはできず拾いに行ったが,その間,誰もいないのに何かが落ちていった。不思議な現象だった。どうやら須藤さんの水筒らしい。流石にこっちは拾いに行く気力は無く(そもそも追跡できなかった)人から水をもらうことになった。みんな荷物には気をつけようと思った。 長い下山であったが,ようやく徳沢小屋の林道まで到着。西沢渓谷の一般客の間に混じって怪しい一団が突き進んだ。西沢渓谷入口の茶屋でやっていた展望風呂はやっていなかった。タクシーを呼んでいる間にビールを注文する。タクシーで荷物をデポしている峡東タクシーまで。その後,駅反対側の温泉街まで歩いていった。街中では普通ちょっと距離を感じるところだが,いままでの歩きからすれば問題ではなかった。 八王子で平川さん両角夫妻山本さん参加で反省会を行うことになる。向かう途中塩山駅でお座敷列車が入線。珍しかったがグリーン料金がかかること・その後の特急に乗ることを考えて見送った。しかし後で比較してみると値段的にも時間的にもあまり変わらないらしい。もし今度お座敷列車に出くわしたらゆったり帰れる分利用してみたいと思う。
乙女のナメ滝を過ぎた先の大壁、ダイナミックなスケールに圧倒されます。
東のナメ滝は上部まで登攀しているグループがいました。西のナメ滝でひと遊び。
青木さん、久々の沢で大満足。
千畳のナメの手前、水流もなかなかのもの。
千畳のナメは思ったよりあっさりと終わってしまいました。
そして幕営、夜のお楽しみはもちろん焚き火。
翌日は2時間半ほどでポンプ小屋へ。上部の崩落はちょっと残念。
24日は雨がちの天気、残念なことに絶景は望めませんでした。 行動記録 (標高は地形図から) 9/23 7:15西沢渓谷入口-8:00笛吹川東沢入渓点(1140m)-9:25山ノ神(1250m)-10:20東のナメ沢-11:10西のナメ沢-12:00金山沢分岐-13:10両門の滝-15:00広河原(1730m)・露営 9/24 8:15出発(1730m)-9:154段20mナメ滝-10:50ポンプ小屋(2300m)-11:40木賊山頂(2469m)-12:10見晴台(2240m)-13:10広瀬(1869m)-13:50休憩点-14:30徳ちゃん入り口(1150m)-15:00西沢渓谷入口
Copyright 2001-2014 msc-jp. All rights reserved.