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参加者:須藤(CL、記録、装備)、山本(SL、食当)、門脇
日程:2007年4月6日(金)夜発?同8日(日)
行程:4月6日(金) 21:00 調布駅集合?練馬IC?関越自動車道?24:00土合ロープウェイ駅
4月7日(土) 7:10 ロープウェイ駅発?西黒尾根?12:45 トマの耳?一ノ倉岳?
15:30 茂倉岳?茂倉新道?18:40 矢場ノ頭下
4月8日(日) 7:40 矢場ノ頭下?茂倉新道?9:45 土樽駅
足許の右(東)側に雪屁が張り出し、その根元はバックリと口が開いている。ゾっとして、いきおい足の動きが慎重になる。トマの耳からオキの耳を過ぎ、一ノ倉岳へ向かう稜線上だ。
西黒尾根はピーカンの快晴。シャツ1枚となる程の暑さで、急登と半分腐った雪があったものの稜線は広く、危なげなくトマの耳まで辿り着く。12時前を目安にしていたので1時間の遅れ。
“今日は残業か。”と覚悟する。
オキの耳を過ぎたあたりから天気は曇り気味。稜線上の踏み跡は1?2人のものだろうか。少ない踏み跡だが、それだけ鮮明でかえって目障りな感じがする。雪は膝下までで、ラッセルはそれほどきつくはない。といっても先頭は殆ど山本さんで、自分は後ろに金魚のふんのようにくっついて申し訳ない。一ノ倉岳の急登途中で先頭を変わらせてもらう。踏み跡に混じりスキーの跡がある。
一ノ倉岳山頂はとても広い。幅20?30m、稜線のように北西へ100m程伸びている。標識らしきものは見当たらず、どこが山頂か分からない。小休止して周囲を見渡す。曇天だが視界は比較的良く、周囲の山塊が見渡せる。強い風が無いのが助かる。この先の茂倉岳はすぐ目の前で、なだらかに降りた後、再び急登となっている。稜線上の雪屁が右(北)側に1,2m張り出している。
時間はかなり押していて、もう蓬峠まで行くのはきつい感じであり、エスケープを念頭に置く。
茂倉岳を目指し、先頭を行かせてもらう。ここからは踏み後が全く無く、とても気分がいい。雪山での至福の一つだと思う。雪屁を踏み抜かないように、慎重に歩を進める。急登が結構きつい。門脇さんが左足をつった様子で、かなり痛そう。新調したブーツも未だ足に慣れず、かなりきつそうだ。何一つネガティブな言を発せられないが、動きを見れば痛々しい程に良く分かる。
40分程で茂倉岳に着くと、西側下300m程のところに避難小屋が見える。今日はここで泊まろうと行ってみるが、雪に埋まっていないのは屋根だけでガックリ。何とか掘ってみようと試みるが、直ぐに諦めて、一服すべく雪を溶かしてお湯を作り始めた。と、そこへ北側斜面からスキーを担いで上がってくる人が。小屋へ着くなり、“窓まで掘れば入れる”と、この小屋の事をいかにも知っていそうな口ぶりで、直ぐさま、小屋の壁にそって堀り始めた。一縷の光が差した思いで、山本さんが一緒に掘り出し作業に加わるが、一向に窓も扉も出てこない。 “怪しげな人”は、小屋の位置が悪い、とか、窓は此処にないといけない、とか一人で文句を言って止めてしまった。始めは思わせぶりな口ぶりだったが、要は何も知らなかったのだ。後にWebで検索して分かったが、入り口扉は掘っていたのとは、全く反対側の壁にあった。
已む無く、茂倉新道をエスケープルートとし、下ることとした。が、これがとんでも無い選択であったことが後で身に染みて分かる。稜線上にはコブがいくつもあり、ひたすらナイフリッジのアップダウンを繰り返す。南斜面に大きな雪屁が張り出して、中にはその上にテントが裕に張れそうなものも。
その上至る所で、あんぐりと口が開いている。雪面の下4,5cmは弱層となっていて、それが滑ってアイゼンが効いてくれない。行けども行けども適当な幕場は無く、進むのにうんざりしてくる。
ヘッデンの行軍も覚悟した18時前ぐらいか、右(北)前方、稜線が北に折れた少し下に大きめの松の木数本が見え、幕場になってくれそうなコルが見えた。しかしその前には急登のコブ、“矢場の頭”が立ちはだかり、とてつもなく大きく見える。文字通り“最後の壁”だ。何とか北側斜面をトラバース出来、無事松ノ木々の下に辿り着く。体はグッタリ、喉はカラカラで、すぐさまお湯を沸かし、その横で幕場整地、テント張りを行う。テントに入って夜の宴になるも、皆疲れきっていて、食欲が今いち、それどころか酒もあまり喉を通らない。水ものばかりをやたら体が欲しがっている。
今日の行軍の厳しさを話しながら、9時半に就寝。
翌朝5時に起き、7時40分に幕場を後にする。樹林帯に入るが、やたらと木の根が多く、歩きづらい。ただ、それほど太くはないが真っ直ぐ伸びたブナの木々が目に心地よかった。
土樽の駅に10時前に着き、10:08の水上駅行きに乗れてちょうど良かった。
段取りCLの反省としては、ちゃんとエスケープルートを下調べしておくべきだった。避難小屋の向き、間取り、扉、窓の位置など、IT全盛の時代だからWebで調べれば、かなりのことが分かる。ましてエスケープルート上の幕場の位置にあたりをつけておくことは、最低条件だと思う。
幸いにも天気が何とか持ってくれたから良かったものの、吹雪かれたら最悪だったと思う。
今後の山行に生かしたい。
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日程:2007年4月6日(金)夜発?同8日(日)
行程:4月6日(金) 21:00 調布駅集合?練馬IC?関越自動車道?24:00土合ロープウェイ駅
4月7日(土) 7:10 ロープウェイ駅発?西黒尾根?12:45 トマの耳?一ノ倉岳?
15:30 茂倉岳?茂倉新道?18:40 矢場ノ頭下
4月8日(日) 7:40 矢場ノ頭下?茂倉新道?9:45 土樽駅
足許の右(東)側に雪屁が張り出し、その根元はバックリと口が開いている。ゾっとして、いきおい足の動きが慎重になる。トマの耳からオキの耳を過ぎ、一ノ倉岳へ向かう稜線上だ。
西黒尾根はピーカンの快晴。シャツ1枚となる程の暑さで、急登と半分腐った雪があったものの稜線は広く、危なげなくトマの耳まで辿り着く。12時前を目安にしていたので1時間の遅れ。
“今日は残業か。”と覚悟する。
オキの耳を過ぎたあたりから天気は曇り気味。稜線上の踏み跡は1?2人のものだろうか。少ない踏み跡だが、それだけ鮮明でかえって目障りな感じがする。雪は膝下までで、ラッセルはそれほどきつくはない。といっても先頭は殆ど山本さんで、自分は後ろに金魚のふんのようにくっついて申し訳ない。一ノ倉岳の急登途中で先頭を変わらせてもらう。踏み跡に混じりスキーの跡がある。
一ノ倉岳山頂はとても広い。幅20?30m、稜線のように北西へ100m程伸びている。標識らしきものは見当たらず、どこが山頂か分からない。小休止して周囲を見渡す。曇天だが視界は比較的良く、周囲の山塊が見渡せる。強い風が無いのが助かる。この先の茂倉岳はすぐ目の前で、なだらかに降りた後、再び急登となっている。稜線上の雪屁が右(北)側に1,2m張り出している。
時間はかなり押していて、もう蓬峠まで行くのはきつい感じであり、エスケープを念頭に置く。
茂倉岳を目指し、先頭を行かせてもらう。ここからは踏み後が全く無く、とても気分がいい。雪山での至福の一つだと思う。雪屁を踏み抜かないように、慎重に歩を進める。急登が結構きつい。門脇さんが左足をつった様子で、かなり痛そう。新調したブーツも未だ足に慣れず、かなりきつそうだ。何一つネガティブな言を発せられないが、動きを見れば痛々しい程に良く分かる。
40分程で茂倉岳に着くと、西側下300m程のところに避難小屋が見える。今日はここで泊まろうと行ってみるが、雪に埋まっていないのは屋根だけでガックリ。何とか掘ってみようと試みるが、直ぐに諦めて、一服すべく雪を溶かしてお湯を作り始めた。と、そこへ北側斜面からスキーを担いで上がってくる人が。小屋へ着くなり、“窓まで掘れば入れる”と、この小屋の事をいかにも知っていそうな口ぶりで、直ぐさま、小屋の壁にそって堀り始めた。一縷の光が差した思いで、山本さんが一緒に掘り出し作業に加わるが、一向に窓も扉も出てこない。 “怪しげな人”は、小屋の位置が悪い、とか、窓は此処にないといけない、とか一人で文句を言って止めてしまった。始めは思わせぶりな口ぶりだったが、要は何も知らなかったのだ。後にWebで検索して分かったが、入り口扉は掘っていたのとは、全く反対側の壁にあった。
已む無く、茂倉新道をエスケープルートとし、下ることとした。が、これがとんでも無い選択であったことが後で身に染みて分かる。稜線上にはコブがいくつもあり、ひたすらナイフリッジのアップダウンを繰り返す。南斜面に大きな雪屁が張り出して、中にはその上にテントが裕に張れそうなものも。
その上至る所で、あんぐりと口が開いている。雪面の下4,5cmは弱層となっていて、それが滑ってアイゼンが効いてくれない。行けども行けども適当な幕場は無く、進むのにうんざりしてくる。
ヘッデンの行軍も覚悟した18時前ぐらいか、右(北)前方、稜線が北に折れた少し下に大きめの松の木数本が見え、幕場になってくれそうなコルが見えた。しかしその前には急登のコブ、“矢場の頭”が立ちはだかり、とてつもなく大きく見える。文字通り“最後の壁”だ。何とか北側斜面をトラバース出来、無事松ノ木々の下に辿り着く。体はグッタリ、喉はカラカラで、すぐさまお湯を沸かし、その横で幕場整地、テント張りを行う。テントに入って夜の宴になるも、皆疲れきっていて、食欲が今いち、それどころか酒もあまり喉を通らない。水ものばかりをやたら体が欲しがっている。
今日の行軍の厳しさを話しながら、9時半に就寝。
翌朝5時に起き、7時40分に幕場を後にする。樹林帯に入るが、やたらと木の根が多く、歩きづらい。ただ、それほど太くはないが真っ直ぐ伸びたブナの木々が目に心地よかった。
土樽の駅に10時前に着き、10:08の水上駅行きに乗れてちょうど良かった。
段取りCLの反省としては、ちゃんとエスケープルートを下調べしておくべきだった。避難小屋の向き、間取り、扉、窓の位置など、IT全盛の時代だからWebで調べれば、かなりのことが分かる。ましてエスケープルート上の幕場の位置にあたりをつけておくことは、最低条件だと思う。
幸いにも天気が何とか持ってくれたから良かったものの、吹雪かれたら最悪だったと思う。
今後の山行に生かしたい。
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今日はヤビツ峠から藤熊川沿いを下り、諸戸から大山に上がった。大山から北尾根を一ノ沢峠、物見峠入口へ下った。午前中は晴れていて気持ちの良い歩きだったが、午後から雲行きが怪しくなって来た。どうにか降られずに済んで本当に良かった。
物見峠から新大日の登りは夜勤明けには、かなりきつかった。表尾根の時はしっかりバテていた。さすがに疲れました。
ヤビツ峠8:45 諸戸9:25 大山10:35 一ノ沢峠12:20
一ノ沢峠 物見峠13:00 下ノ平13:50 新大日15:25
新大日 三ノ塔16:45 富士見橋17:40 ヤビツ峠18:00
物見峠から新大日の登りは夜勤明けには、かなりきつかった。表尾根の時はしっかりバテていた。さすがに疲れました。
ヤビツ峠8:45 諸戸9:25 大山10:35 一ノ沢峠12:20
一ノ沢峠 物見峠13:00 下ノ平13:50 新大日15:25
新大日 三ノ塔16:45 富士見橋17:40 ヤビツ峠18:00