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行程:
2月23日(金)
9:00 調布駅集合?調布IC?中央自動車道?諏訪南IC?(途上昼食)?美濃戸(徒歩)?美濃戸?柳川南沢?16:30行者小屋
2月24日(土)
4:30 起床?6::20 行者小屋出発?7:00文三朗尾根上取り付き地点?7:30登攀開始?3:00 赤岳山頂?14:30 行者小屋着、撤収?柳川南沢?18:30美濃戸口
今冬、自分の第一課題である赤岳主稜。年明け前から山本さんにお願いし、平日休みを
確保、用意してきた。モミソ沢でのアイゼントレーニング、富士山での登攀訓練なども大げさに言えばこの日を照準に捉えた準備だった。
23日9時に調布駅集合。当初は22日夜に美濃戸口にて幕営、23日早朝に登攀する計画だったのだが、23日の天候予想が芳しくないため、一日ずらすこととなった。
二人での幕営なので、荷物が重い。20kg以上、二人合わせて45kgはあっただろうか。
2人用テントは、旧式なのか4人用とあまり変わらない重さだし、コンロ2基と燃料もかさばる。
美濃戸口から美濃戸までは軽快に歩を進めたが、美濃戸から行者小屋までの道のりが
長い。荷が重くて息があがる。途中3回も小休止してしまった。
16時30分、行者小屋着。先客は1人用テント1張りのみ。奥の林の中にて幕営、夕食を
摂る。夜になってもテントの数は増えず、空には満天の星と三日月。明日は渋滞に巻き込まれず、まずまずの登攀が出来そうと二人で話し、9時過ぎに寝入る。
4時半起床、朝食を摂り、6時少し過ぎに出発、文三郎道を進む。前日の降雪の上に踏み跡は全く無く、これで我らが取り付き1番乗りだ。阿弥陀岳との分岐を過ぎ、急登、主稜取り付きへのトラバース場所と思わしきところまで来るも、なかなかその場所が特定出来ない。
20?30分ほど費やしてしまった。何とか取り付きのチムニーを視認する。風にあおられてか、雪がチムニーの岩を上から下へ流れている。何だかやっかいそうなとこだな、と思いながら尾根からルンゼをトラバースする。
1ピッチ目。山本さんがリード。やはりやっかいなチムニーで “こんなとこ、ほんとに登れんの?” とブツブツ言いながら山本さんが攀っていく。チムニーを上がると見えなくなり、ビレイ
している自分は風と上から落ちてくる雪で寒い、寒い。やっと解除、セカンドOKの合図で自分が攀る。チムニーを乗り越えて上がるが、何だかテンションが上がらない。
それどころか、2ピッチ目の自分のリードなのに、気後れしてしまっていた。山本さんに檄を入れられ、意を決っする。取り付きの背丈より少し高い垂壁を左から巻き込んで抜ける。30mほど上がったところで確保する。これで気持ちが吹っ切れた。“やるぞっ!何でも来い”。
二人なので、リード、ビレイを互い違いに行い、休む暇なく息が上がる。マルチピッチに慣れておらず、段取りがスムーズでないせいか時間もかかる。何とかガイド本で言う7ピッチ目の核心部に着く。出だしの小垂壁がなかなか乗っ越せない。二人で四苦八苦し、ハーケンを1本打って自分がA0で上がる。右壁を上がりさらに上部の垂壁を攀る。ここがいやらしかった。
一番上のチムニー状の真下から取り付く。残地ハーケンが見つからず、小ピナクルにランニングを取るも、ロープが上がってくれない。ダブルロープ2本をツインとして使っているので、とても流れが悪い。アイゼンの前2本爪で踏ん張って、なんとか手繰り寄せてクリップするがふくろはぎが突っ張ってくる。そうやって何とかピナクルにランニングを取るもピナクルでは下からのテンションが掛からないと効かないはずで、そこから上へリードするのでは、抜けてしまわないかと心許ない。墜落が頭をよぎり、“こんなところで俺はくたばらないぞ”と思う(今にして思えば、ちょっと大げさだ)。気持ちの上では、このランニングは当てにはせず、無いものとして攀り、緊張しまくりのピッチだった。チムニーを完全に乗り切ってから、少し安心する。
ビレイして山本さんが上がってくるが、その後ろに人の姿が見える。見るからにこの手のことを“やっていそう”な風貌、装備である。ギアラックにはなんとカム、ナッツ類がずらりと吊るされている。次を山本さんがリードし、自分が上がったところで、彼らとの差はさらに縮んでしまう。ちょっと気押され、“先に行ってもらいます?”と山本さんに提案するが、首を縦に振らない。それじゃあ、と思い自分がリードする。息を上げてしゃに無に上がる。途中後ろからアイゼンの足音が近づくも、何とか振り切って正面の大きなピナクルに辿り着いた。真新しく打たれたハーケン3本に確保し、山本さんが上がってくる。ビレイの最中に右手5本指に“つる”感覚が走る。ロープを何とか握り締めてはいるが、開こうとしても硬くかじかんだように開いてくれない。要は情けないことにもう、体中、指の先まで一杯一杯だったのだ。山本さんが上がって最後のピッチを終え、一息ついて赤岳山頂へ上がり切る。嬉しかったというか、ほっとしたというべきか、久しぶりに浸る達成感だった。
記念写真を撮って、文三朗尾根を降り、行者小屋にてテントを撤収し南沢を下り美濃戸口へ着いたのは、たっぷりと日が落ちた18時半。延々12時間の行軍だった。
取り付きから山頂まで、延々6時間にも及ぶ“格闘”をしてしまったが、自分にとっては初めてのバリエーションで、完登できた意義は大きい。山本さんに多謝の限りである。
マルチピッチ、アイゼンワークなどまだまだ課題が多いが、授業料をこまめに払い、来期からは、さらにグレードアップしたバリエーションに取り組みたい。?以上?
写真1枚目コメント:赤岳山頂にて。意外と若い“おとうさんクライマー”
写真2枚目コメント:疲れ果ててしまった “おとうさんクライマー”、でも達成感一杯
2月23日(金)
9:00 調布駅集合?調布IC?中央自動車道?諏訪南IC?(途上昼食)?美濃戸(徒歩)?美濃戸?柳川南沢?16:30行者小屋
2月24日(土)
4:30 起床?6::20 行者小屋出発?7:00文三朗尾根上取り付き地点?7:30登攀開始?3:00 赤岳山頂?14:30 行者小屋着、撤収?柳川南沢?18:30美濃戸口
今冬、自分の第一課題である赤岳主稜。年明け前から山本さんにお願いし、平日休みを
確保、用意してきた。モミソ沢でのアイゼントレーニング、富士山での登攀訓練なども大げさに言えばこの日を照準に捉えた準備だった。
23日9時に調布駅集合。当初は22日夜に美濃戸口にて幕営、23日早朝に登攀する計画だったのだが、23日の天候予想が芳しくないため、一日ずらすこととなった。
二人での幕営なので、荷物が重い。20kg以上、二人合わせて45kgはあっただろうか。
2人用テントは、旧式なのか4人用とあまり変わらない重さだし、コンロ2基と燃料もかさばる。
美濃戸口から美濃戸までは軽快に歩を進めたが、美濃戸から行者小屋までの道のりが
長い。荷が重くて息があがる。途中3回も小休止してしまった。
16時30分、行者小屋着。先客は1人用テント1張りのみ。奥の林の中にて幕営、夕食を
摂る。夜になってもテントの数は増えず、空には満天の星と三日月。明日は渋滞に巻き込まれず、まずまずの登攀が出来そうと二人で話し、9時過ぎに寝入る。
4時半起床、朝食を摂り、6時少し過ぎに出発、文三郎道を進む。前日の降雪の上に踏み跡は全く無く、これで我らが取り付き1番乗りだ。阿弥陀岳との分岐を過ぎ、急登、主稜取り付きへのトラバース場所と思わしきところまで来るも、なかなかその場所が特定出来ない。
20?30分ほど費やしてしまった。何とか取り付きのチムニーを視認する。風にあおられてか、雪がチムニーの岩を上から下へ流れている。何だかやっかいそうなとこだな、と思いながら尾根からルンゼをトラバースする。
1ピッチ目。山本さんがリード。やはりやっかいなチムニーで “こんなとこ、ほんとに登れんの?” とブツブツ言いながら山本さんが攀っていく。チムニーを上がると見えなくなり、ビレイ
している自分は風と上から落ちてくる雪で寒い、寒い。やっと解除、セカンドOKの合図で自分が攀る。チムニーを乗り越えて上がるが、何だかテンションが上がらない。
それどころか、2ピッチ目の自分のリードなのに、気後れしてしまっていた。山本さんに檄を入れられ、意を決っする。取り付きの背丈より少し高い垂壁を左から巻き込んで抜ける。30mほど上がったところで確保する。これで気持ちが吹っ切れた。“やるぞっ!何でも来い”。
二人なので、リード、ビレイを互い違いに行い、休む暇なく息が上がる。マルチピッチに慣れておらず、段取りがスムーズでないせいか時間もかかる。何とかガイド本で言う7ピッチ目の核心部に着く。出だしの小垂壁がなかなか乗っ越せない。二人で四苦八苦し、ハーケンを1本打って自分がA0で上がる。右壁を上がりさらに上部の垂壁を攀る。ここがいやらしかった。
一番上のチムニー状の真下から取り付く。残地ハーケンが見つからず、小ピナクルにランニングを取るも、ロープが上がってくれない。ダブルロープ2本をツインとして使っているので、とても流れが悪い。アイゼンの前2本爪で踏ん張って、なんとか手繰り寄せてクリップするがふくろはぎが突っ張ってくる。そうやって何とかピナクルにランニングを取るもピナクルでは下からのテンションが掛からないと効かないはずで、そこから上へリードするのでは、抜けてしまわないかと心許ない。墜落が頭をよぎり、“こんなところで俺はくたばらないぞ”と思う(今にして思えば、ちょっと大げさだ)。気持ちの上では、このランニングは当てにはせず、無いものとして攀り、緊張しまくりのピッチだった。チムニーを完全に乗り切ってから、少し安心する。
ビレイして山本さんが上がってくるが、その後ろに人の姿が見える。見るからにこの手のことを“やっていそう”な風貌、装備である。ギアラックにはなんとカム、ナッツ類がずらりと吊るされている。次を山本さんがリードし、自分が上がったところで、彼らとの差はさらに縮んでしまう。ちょっと気押され、“先に行ってもらいます?”と山本さんに提案するが、首を縦に振らない。それじゃあ、と思い自分がリードする。息を上げてしゃに無に上がる。途中後ろからアイゼンの足音が近づくも、何とか振り切って正面の大きなピナクルに辿り着いた。真新しく打たれたハーケン3本に確保し、山本さんが上がってくる。ビレイの最中に右手5本指に“つる”感覚が走る。ロープを何とか握り締めてはいるが、開こうとしても硬くかじかんだように開いてくれない。要は情けないことにもう、体中、指の先まで一杯一杯だったのだ。山本さんが上がって最後のピッチを終え、一息ついて赤岳山頂へ上がり切る。嬉しかったというか、ほっとしたというべきか、久しぶりに浸る達成感だった。
記念写真を撮って、文三朗尾根を降り、行者小屋にてテントを撤収し南沢を下り美濃戸口へ着いたのは、たっぷりと日が落ちた18時半。延々12時間の行軍だった。
取り付きから山頂まで、延々6時間にも及ぶ“格闘”をしてしまったが、自分にとっては初めてのバリエーションで、完登できた意義は大きい。山本さんに多謝の限りである。
マルチピッチ、アイゼンワークなどまだまだ課題が多いが、授業料をこまめに払い、来期からは、さらにグレードアップしたバリエーションに取り組みたい。?以上?
写真1枚目コメント:赤岳山頂にて。意外と若い“おとうさんクライマー”
写真2枚目コメント:疲れ果ててしまった “おとうさんクライマー”、でも達成感一杯