-
金曜門脇さんの工場へ道具を持って伺ったところ、話の流れで急遽鷹取での訓山が決まりました。直前の決定だったので参加者は金曜のまま3名、先日のアイスクライミングの反省を兼ね、基本と道具の使い方のチェックをおこないました。
場所はいつもの崖仏の裏。いつもの壁にトップロープをかけ、アックスとアイゼンで登りました。アックスは意外と利くもので、途中でハーケンのセットも体験しました。この際のフィフィの使い方について、非常にためになるやり方を教わりました。
またアックスのリーシュの使い方も「ただつけているだけ」では全然利かないことを知りました。この壁でトップロープで数本やったあと、裏面の3倍ある壁にロープ設定。こちらは最初っから足場がなかったりかぶっていたりで、西舘×2は1/3で頓挫。こちらは陽当たりもよく壁が乾いていてアックスも利かないので、苦労しました。
鷹取はアイスの訓練にも十分利用できます。少し集中してやりましょう。
その後上大岡で反省会。ここには寺本さん、清水さん、樋田さんも参加されました。 28日の門脇工場、アイス装備のチェックからはじまりました。中央左は今年の冬山講習主任の久保田さん。
アックスのリーシュの使い方。我々2名は完全に間違っていました。
門脇さんの足下。アイゼンの使い方を勉強します。
裏壁は西舘×2は敗退。今後の目標となりました。
メンバー 清野 両角 山本
28日に鶏冠谷枝沢・奥飯盛沢に両角・山本・せいので行ってきました。道の駅「みとみ」は風が通ってとても寒くて、鶏冠谷手前の徒渉がいやでしたが、なんと沢床は
完全結氷してました。
奥飯盛沢は出合いからいきなり3段100mの滝が続いていて、なかなかのものでした。時間が無くて上部は登れませんでしたが、今冬中には登るつもりです。
※記録は下にあります。
下部
下部2P目
左下部50m
上部30m
本流12mナメ滝
メンバー:清野明・両角満康・山本潔果
23:30八王子駅にて待ち合わせ、両角さんの車で奥秩父へ。
道の駅にてビバーク。寒い。寒くて余り眠れなかった。
朝になると、北風更に強く、こんな日に裸足になって渡渉するかと思うと、気が重くなる。両角さんは、渡渉しなくても済む西沢渓谷の滝にしようと呟くが・・・・。
本流は凍っており、2度の渡渉も氷の上を歩いて渡れた。ラッキー!!
鶏冠谷に入ると、初めのうちは幾らか凍っていたものの、アイゼンを着けるとかえって歩きにくい。始めの登れない大滝は、いつも通り右から捲くが、プラブーツでの捲きは非常に怖い。沢靴では何でも無い様な所の通過も、とても厳しい。凍り方も中途半端で、うっかり踏み抜けば、氷水のプールで水泳となる。登れそうな滝は無いのではと諦めかけた頃、10:50奥の飯盛沢が左から出合う。ここまで来るのに夏場の2倍くらいの時間が掛った。この先の逆「く」の字滝も凍っている様であったが、奥の飯盛沢出合いの滝がクライミング意欲をそそる。とは言っても、山本はアイスクライミングなどろくにやった事は無いのだ。正直な所、5?6年前に1回やったきりだ。100m程の大滝が結氷しているのだが、たとえセカンドでもちゃんと登れるのか、かなり怪しい。清野さんがリードで30m程ザイルを伸ばしてピッチを切る。垂直の壁ではなく、ところどころに休めるような段が有り、初心者向きなのかもしれない。なれない登攀で膝や肘を氷に打ち付けてしまうが、痛いのも忘れてアックスを振るう。3人がテラスに集まったところで、ここからは、両角さんがリードして15m程登って1段目の滝を登攀終了。50mを3人で登るのに2時間近く掛ってしまった。この先の50mも面白そうなのだが、ここを登っていたら日が暮れてしまうので今回は断念。立ち木に支点を取り懸垂下降するが、50mロープ2本でぎりぎり沢床に降りられた。時間は13:40。再び歩きにくい薄氷の沢を下る。少し下った所の左岸にも練習に良さそうな氷瀑が有った。近くに幕場も有り、近々また来ようかと相談する。15:47駐車場に戻る。温泉に入って温まってから、一路丹沢へ向かう。指導員研修会の懇親会に合流しビールを呑んで早々に寝る。やり慣れない事をしたのであちこちが痛む。結構痣なっている。翌日は、「べアールのフライヤー?」の性状・凍傷・山の事故での業務上過失などについて勉強する。午後は、清野さんも山本も苦手なボードを使った研修で、両角さんがMSCを代表してリードで完登する。と言う訳で、盛り沢山の充実した週末でした。
23:30八王子駅にて待ち合わせ、両角さんの車で奥秩父へ。
道の駅にてビバーク。寒い。寒くて余り眠れなかった。
朝になると、北風更に強く、こんな日に裸足になって渡渉するかと思うと、気が重くなる。両角さんは、渡渉しなくても済む西沢渓谷の滝にしようと呟くが・・・・。
本流は凍っており、2度の渡渉も氷の上を歩いて渡れた。ラッキー!!
鶏冠谷に入ると、初めのうちは幾らか凍っていたものの、アイゼンを着けるとかえって歩きにくい。始めの登れない大滝は、いつも通り右から捲くが、プラブーツでの捲きは非常に怖い。沢靴では何でも無い様な所の通過も、とても厳しい。凍り方も中途半端で、うっかり踏み抜けば、氷水のプールで水泳となる。登れそうな滝は無いのではと諦めかけた頃、10:50奥の飯盛沢が左から出合う。ここまで来るのに夏場の2倍くらいの時間が掛った。この先の逆「く」の字滝も凍っている様であったが、奥の飯盛沢出合いの滝がクライミング意欲をそそる。とは言っても、山本はアイスクライミングなどろくにやった事は無いのだ。正直な所、5?6年前に1回やったきりだ。100m程の大滝が結氷しているのだが、たとえセカンドでもちゃんと登れるのか、かなり怪しい。清野さんがリードで30m程ザイルを伸ばしてピッチを切る。垂直の壁ではなく、ところどころに休めるような段が有り、初心者向きなのかもしれない。なれない登攀で膝や肘を氷に打ち付けてしまうが、痛いのも忘れてアックスを振るう。3人がテラスに集まったところで、ここからは、両角さんがリードして15m程登って1段目の滝を登攀終了。50mを3人で登るのに2時間近く掛ってしまった。この先の50mも面白そうなのだが、ここを登っていたら日が暮れてしまうので今回は断念。立ち木に支点を取り懸垂下降するが、50mロープ2本でぎりぎり沢床に降りられた。時間は13:40。再び歩きにくい薄氷の沢を下る。少し下った所の左岸にも練習に良さそうな氷瀑が有った。近くに幕場も有り、近々また来ようかと相談する。15:47駐車場に戻る。温泉に入って温まってから、一路丹沢へ向かう。指導員研修会の懇親会に合流しビールを呑んで早々に寝る。やり慣れない事をしたのであちこちが痛む。結構痣なっている。翌日は、「べアールのフライヤー?」の性状・凍傷・山の事故での業務上過失などについて勉強する。午後は、清野さんも山本も苦手なボードを使った研修で、両角さんがMSCを代表してリードで完登する。と言う訳で、盛り沢山の充実した週末でした。
今年最初の訓練山行はアイスクライミング。予定は芦安方面だったのですが、当日関東地方は5年振りというドカ雪で林道閉鎖、そこで三つ峠裏の四十八滝沢へ転進しました。
ところが四十八滝沢は先日の大雨で氷が溶けてしまった上にこの日の雪。登攀の遅さもあって一度は諦めかけたものの、清野さん、両角さんの粘りでゲレンデを見つけました。
アイス初体験の人も多く講習を受けてからトップロープで登ります。
この日は林道入口にテントをデポ、生活技術の訓練も兼ねました。
翌日はいろんな都合で朝から温泉へ。12時には八王子に戻ったのですが、なぜか反省会終了は9時になっていました。
報告が上がるまで写真を上げておきます。
アイゼン歩行の訓練も。積雪が少なく岩も多く歩きづらい場所でした。
最初の滝をリードする両角さん。中央はシャブシャブの状態。
上部支点から2本ロープでアイスの登攀訓練。ビレイは寒かったです。
すぐ上に12メートルほどの手軽な滝。トップロープで各自何度も登攀を体験。
須藤さん、ことのほかアイスがお気に召したご様子。
食当は小笠原さん、鍋が大好評でした。
翌朝は幕場にて訓練。グローブをした手でビナの支点通過。
これからお風呂、笑顔もこぼれます。
+++++++++++++++++以下、正式記録(2007・2.4追加)
四十八滝沢 アイスクライミング 訓練山行
2006年1月21(土)?22日(土)
参加者:CL/両角充康 SL/清野明 食当/小笠原早苗 記録/両角なつ子
門脇信重 中山一 西舘彰芳 西舘章子 森正彦 須藤功
一年過ぎた思い出し記録なのである。まことに申し訳ない。しかも個人的感想ばかりになるが、いずれ皆の記憶の掘り出し作業のお手伝いができることを祈りつつ・・・。
で、だ。「当日関東地方は5年振りというドカ雪で林道閉鎖・・・」とMSCブログに記載されていた。西舘さんありがと。 そういうわけで、南アルプス・野呂川支流に行く予定を変更したらしい。らしい・・・って、すまんすまん、四十八滝沢へ転進した理由を覚えておらなかったのだ。
何年ぶりだったろう、アイスクライミング。まず歩けるかどうかさえ心配だった。たっぷり休憩を挟んでもらいながらゲレンデに、ワタシ的にはようやく到着。荷物をデポし必要なものだけを持って沢へ降りた。氷の上を歩くのさえおぼつかない私。アイス初の人も交えて初歩的訓練を受けたのち、トップロープ2本で登攀訓練開始。いやはや、左腕に力が入らず氷に刺さらず往生しました。章子さんは初めてだというのにバスッっと刺さっていたなぁ、あっさり登っていた。そうそ、須藤さんはえらく気に入っちゃったみたいで、ロープが塞がっていると、その脇で一人いろいろとチャレンジしていましたっけ。寒かったから、確保の人は大変だった様子。ありがとうございました、ほんとに。小笠原さんは上着や手袋をザックに忘れたらしく、門脇さんに予備の手袋を拝借、私もホカロンを背中に貼ってあげました。が、かくいうワタシもですねぇ、オーバー手袋が見つからず誰か予備持ってませんかなどと聞く始末。しばらくしてから持参していたザックの天蓋に発見しましたけれど。なかなか怪しいおばさん二人組でありました。
テン場に戻ると、皆さんさっそく仕事を始めています。「ああ、おばさんはもう疲れて動けないのよ。みんな優しいわね?。申し訳ない、久しぶりということで許してやってチョーダイ。ありがとうね?。みんなあったかいわね?。」と一人で言い訳と感謝を頭にぐるぐるめぐらすのでありました。でも、そだな、雪集めはしたな。それから何したっけ・・・。ほらやっぱり何もしてないやんけ、ごめんなさい。夕食は小笠原さんの鍋が好評、なんでもご自慢のダシだとか。ごちそうさまでした。
さて翌日。どーする?ってな模様でまだ行動が決定されていないようす。そこでおばさんは「温泉♪温泉♪」と連呼し洗脳作戦に出たのでありました。ところがマジメな方がおるものよ、彰芳さんがカラビナ通過を練習しようと言い出し、マジメに訓練をしたのでありました。やってみれば思い出し、それはそれで嬉しかった私でございました。
それからは温泉・帰路・酒・酒・酒・・・と続き、夜は更けていったのでありました。
2006年1月6日(金)?8日(日)
メンバー 中山CL(CL・食当) 西舘章子SL 池田 須藤(記録)
6日新宿20時発スーパーあずさ33号に4人全員乗り込んでの出発。前日、西舘(彰)さんの足にトラブルが起き、急遽参加見合わせとなってしまった。前年末に西館邸にて打ち合わせを行い準備万端で望み、皆で楽しみにしていたので残念。
列車の中で、人員減になったことと、雪が予想より多そうなことから、いくつかのルートオプションの説明を中山さんから受ける。他、須藤がアイゼン装着方法を教えて頂いたりする。
小淵沢駅に10時前に着く。コンビニに西館章子さん(以下章子さん)と池田さんが買い物に行くも早くも閉店。こんなに早く閉まるのに"コンビニ"というのだろうか? 待合室にて例の如く一杯やって就寝。が、その後に列車が3,4本到着する度に登山客が下車しては、同様に待合室で仮眠、その支度のためのゴソゴソ音で眠れない。それは仕方のない事ではあるが、一人ひどいのがいた。コッヘル、バーナーで食事を作っている。控えめにやってもら
えればいいのだが、コッヘルを床に落としているとしか思えない金属音を始終鳴らし続ける。いったいどういう神経をしているのだろうか?結局私は一睡もできず、他の3人もよく眠れなかった。不快な輩はどこにでもいるが、人間が最低確保しなければならないことを邪魔するのだけは止めてもらいたい。一発怒鳴っておけば良かったと今更思う。
ともあれ翌朝5:15分起床。朝食を摂り、お湯を沸かし各人のテルモスへ入れた後小海線に乗り込み、車内にてスパッツ等登山準備を整える。野辺山駅にて下車し、予約を入れておいたタクシーを電話で呼び、20分ほどで横岳登山口に着く。タクシー車内から見た樹景は、針葉樹ばかりで、あまり幹が太くない。昔、近くの火山の溶岩流で焼け流されたのだろうか?
タクシーを登山口で下車後7:15、直ぐに入山。入山とはいっても、未だあたりは別荘地で登山道ではない。1、2度軽い道探しをして、本当の(?)杣添川沿いの登山道へ入り、左岸を300m程歩いて右岸へ跨ぐ。樹相は、ここまでの樅の木々のみからダケカンバも混じるようになり、それらの幹の太さも力強い直径30cm程度のものが見られるようになる。川を跨いで直ぐ急な斜面があり、新人である私は初めてピッケルを突いて上がり、そこからは杣添尾根を登っていく。始めのうちは、アイゼン無しで登っていたが、入山約2時間後、9:20にアイゼンを装着する。装着して歩きはじめて、直ぐにその威力に驚かされた。それまですべり気味だった斜面に確実に食いついてくれる。すべることに気を取られることが全くない。初心者ではない人にとっては当たり前のことかもしれないが、私にとっては凄いことに思えた。しかし、20分程すると膝に負担がかかり始めた。確実に食い込んで、すべる"あそび"が無いため脚を降ろした時のショックがストレートに膝にくる。それを見計らったように中山さんに「少しガニ股気味に歩くと楽だ。」と言われ、そうしてみるとその通りで本当に楽になった。
さらに登り続け、しばらくしたところでトレールの右側に3,4m四方の雪の整地後が見れた。中山さんによれば、年末あたりの大雪で前へ進めぬ状況になり止む無くここでテン泊したのだろうとのことだった。まだ高度をそれ程上げていない処と思われるので相当の降雪だったのだろう。それを裏付けるかのように、このあたりまではふみ後が何とか残っていたが、それ以降は見つけられなくなった。そしてそれからは悪戦苦闘の連続である。雪の落とし穴にズボズボと体が落ちる。トップを行くあの中山さんが、ひっくり返ってザックを投げ出して起き上がり、抜け出す様を見たときには本当に驚いた。こんなにベテランの人でもこうなることがあるんだ、と。
中山さん以外は2年目の章子さん、新人の池田さんと私であるからトップは必然的に中山さんが行わざるを得なく、大変な思いをされたと思う。踏み後が全く見られない素地の雪原から、硬めの処、下にある踏み後をストックを使って辿っていく技術は長い経験のなせる術なのだろう。私には神業としか思えなかった。中山さんの後を進んでも、脚はとられ、穴に落ち込み腰、胸まで埋まり登攀というよりも、全身を使って"もがく"感じで進み、凄まじいエネルギーを使う。それでも暫くしてからは、見よう見真似ねで3人も加わり4人で順繰りにトップでラッセルをさせてもらうようになった。
踏み後のない雪面でも、緑の樅の木の葉が見えるところは落とし穴が待ち構えていること、周囲より何となしに低く見える処は比較的雪が固いことなどが、経験、感覚的に少しづつ分かってくる。そういう感が当たった時は嬉しいもので、はずれた時は「うわっ!またか!!」という感じである。穴にはまった時や斜面がきついところでは、ピッケルを横にして両手で掴みながら体を押し上げる。しかし、こんなにきつい状況でも中山さんの気遣いとシャレ(というより○○○゛ギャグか?)には僭越ながら関心してしまう。「かかと(踵)が調子悪い人はいるか?」から"カカア(かみさん)と調子が悪いやつはいるか?"と言われた時には一瞬何を仰っているのか分からなかったが、数秒経ってから大笑いしてしまった。シャレは幾度も発せられたが、時には顔が引きつることもあった。たぶん雪山の寒さのせいでしょう。
そうこうしながら5回の小休止の後、13時30分過ぎに標高2千5百メートルのあたりでテント場を見つける。目標の森林限界より少し下だが、体力、雪の状況から樅の木々が聳えるゆるやかな南向き斜面のそことした。雪面を整地して、テントを張り、必要な物をザックから出して全員テントに入る。15時過ぎから夕飯を作りだし、16時頃には食べ始める。メニューは中山流"こてっちゃん"入りほうとう鍋。ありきたりの表現でしかないが、本当に体が芯まであったまり、鱈腹食べ旨かった。こてっちゃんと鷹の爪がこの料理の核心であるように思う。
それにしても、テント内の整理から鍋作りまで中山さん一人にやって頂いてしまったが、その手際の良さには目を見張った。予め外に蓄えた雪をテント内に取り込み、バーナーを2つ使って2段階で解凍、食材を順々に袋から出して鍋に入れていく一連作業には無駄な動きや停滞が全く無い。こんな小さなスペースでどうしてこんなにテキパキとできるのだろう? ここまでできるようになるには10年かかると聞いて、気後れしてしまう。
17時半頃には食べ終わり、18時に就寝。自分が目を覚ました時は3時半だったが、風と舞う雪がテントをバタつかせ、木から雪の塊が落ち、外がどんな様子か否が応でも察しがつく。トイレに行きたいのだが、とても外へ出る気にはなれない。ずっと我慢して寝袋の顔を出す部分を最小限に絞り込んで、みの虫状態となり、誰かの鼾や章子さんの「何これー!」という寝言を聞きながら朝を待つことに決め込む。
そうやってやり過ごすうち、5時に全員起床。2日目が始まる。
餅入りラーメンを食べ、お湯をテルモスに入れる。テントをたたんで7:30出発。1回目8:10の小休止を少し過ぎたあたりだろうか、森林限界に出る。この日も始めのうちは中山さんがトップでラッセルを続けるが、途中から4人交替とする。ハイマツが微かに頭を出す稜線上を登るのは、とても気分がいい。森の中を歩くのもいいが、目の前にさえぎるものが無く、トレールも踏み後も何もなくただただ前へ伸びる白い稜線をつたって歩を進めるのがこんなに気持ちの良いものとは思いもよらなかった。
凍てついた風が頬を打つし、勿論ラッセルも息があがる。けれどそれを凌駕するものがある。自分がトップを進んでいる時、このまま交替せずに頂上まで行ってしまいたい気分だった。2回目9:10の小休止の時、全員の行動食、ツェルト、若干の登攀具のみを一番小さな池田さんのザックに入れ、他はデポしていくこと、赤岳−行者小屋経由の縦走は止め、昨日と同じコースをピストンすることに決める。ここから尾根の先を眺めると、2,3百メートル先から傾斜がかなりきつくなる。小休止後傾斜がきつくなったあたりから、中山さんが1人でトップを登る。上がるにつれて積雪は薄くなり、ところどころ岩が剥き出している。ピッケルを杖代わりではなく、ピックを斜面に刺して登る処もでてくる。
途中池田さんのアイゼンが右、左と2回外れてしまうアクシデントにも見舞われるが、落ち着いて一人で処理する。私と同様、章子さんもちょと息が苦しそうだったが、肝っ玉お姉さん(?)のど根性でひるむ気配は微塵もなく斜面にくらいついていく。中山さんと3人の距離が20〜30m程離れながらも、小休止を入れず11:50杣添尾根を登りつめ三又峰に立つ。そこで即座に中山さんが、3人の体力と池田さんのアイゼンの調子が今一つであることを考慮し、横岳、赤岳へは行かず、下山することを決める。
峰上は曇天で風も強く長くは居られない。10分程の小休止後、下山する。
下山は滑りやすく、慎重に降りる。樹林帯に戻ってからも登るときよりも、更に落とし穴に落ち込み易く、何度ももがく。
16:15無事昨日の出発点である横岳登山口着。途中携帯で頼んでおいたタクシーとタイミングよく出会い、野辺山駅へと向かい、更に小海線にて野辺山駅へ。野辺山駅からスーパーあずさ30号に乗り込み、各々買い込んだ駅弁、ビール、酎ハイで反省会。
今回の山行は結果的には目標である杣添尾根−赤岳−行者小屋の縦走は果たせなかった。けれど、それが敗退であるとは私には思えない。あくまでも外的環境が予定より厳しかったことによる計画変更である。雪が非常に多く、又夜の気温も中山さんでさえあまり経験のない寒さだった。そのため計画変更を余儀なくされた。けれども、その変更もいわゆる"想定の範囲内"だし、環境の厳しさ故、経験できたことも多く、大きい。個人的なことを言えば、何から何まで中山さんに頼りきりだったけれども、初めての"雪山"を無事経験することが出来、登攀技術、生活技術、そして雪山道具使用を学べたことは非常に意義深い。
2年目の章子さん、雪山2度目の池田さんは、私程ではないかもしれないが、やはり充分に満足されており、車内反省会では早くも今年の沢登りなどに話が沸いた。新宿に着いて小田急線に乗り込み、一人充足した気分に酔いしれる。背中に80Lのザック、足にダブルブーツでママチャリをこぎ、肩で風をきって成城のお邸街を駆け抜ける。
「金は無いけど、おれは人生充実させてるぞ!」
以上
沢を登攀する中山さん。
三又峰で。
行程:1月6日 新宿駅発(20:00)?(スーパーあずさ33号)?小淵沢駅着(同21:54)
7日 小淵沢駅発(6:11)?(小海線)?野辺山駅着(6:46)?(タクシー)? 横岳登山口より入山(7:15)?(杣添尾根)?テント場着(14時前)
8日 テント場発(7:30)?(杣添尾根)?三又峰(11:55)?(同尾根下山)?横岳登山口着(15:10)?(タクシー)?野辺山駅(15:30-16:57)? 小渕沢駅(17:29-17:41)?新宿駅(19:35)
メンバー 中山CL(CL・食当) 西舘章子SL 池田 須藤(記録)
6日新宿20時発スーパーあずさ33号に4人全員乗り込んでの出発。前日、西舘(彰)さんの足にトラブルが起き、急遽参加見合わせとなってしまった。前年末に西館邸にて打ち合わせを行い準備万端で望み、皆で楽しみにしていたので残念。
列車の中で、人員減になったことと、雪が予想より多そうなことから、いくつかのルートオプションの説明を中山さんから受ける。他、須藤がアイゼン装着方法を教えて頂いたりする。
小淵沢駅に10時前に着く。コンビニに西館章子さん(以下章子さん)と池田さんが買い物に行くも早くも閉店。こんなに早く閉まるのに"コンビニ"というのだろうか? 待合室にて例の如く一杯やって就寝。が、その後に列車が3,4本到着する度に登山客が下車しては、同様に待合室で仮眠、その支度のためのゴソゴソ音で眠れない。それは仕方のない事ではあるが、一人ひどいのがいた。コッヘル、バーナーで食事を作っている。控えめにやってもら
えればいいのだが、コッヘルを床に落としているとしか思えない金属音を始終鳴らし続ける。いったいどういう神経をしているのだろうか?結局私は一睡もできず、他の3人もよく眠れなかった。不快な輩はどこにでもいるが、人間が最低確保しなければならないことを邪魔するのだけは止めてもらいたい。一発怒鳴っておけば良かったと今更思う。
ともあれ翌朝5:15分起床。朝食を摂り、お湯を沸かし各人のテルモスへ入れた後小海線に乗り込み、車内にてスパッツ等登山準備を整える。野辺山駅にて下車し、予約を入れておいたタクシーを電話で呼び、20分ほどで横岳登山口に着く。タクシー車内から見た樹景は、針葉樹ばかりで、あまり幹が太くない。昔、近くの火山の溶岩流で焼け流されたのだろうか?
タクシーを登山口で下車後7:15、直ぐに入山。入山とはいっても、未だあたりは別荘地で登山道ではない。1、2度軽い道探しをして、本当の(?)杣添川沿いの登山道へ入り、左岸を300m程歩いて右岸へ跨ぐ。樹相は、ここまでの樅の木々のみからダケカンバも混じるようになり、それらの幹の太さも力強い直径30cm程度のものが見られるようになる。川を跨いで直ぐ急な斜面があり、新人である私は初めてピッケルを突いて上がり、そこからは杣添尾根を登っていく。始めのうちは、アイゼン無しで登っていたが、入山約2時間後、9:20にアイゼンを装着する。装着して歩きはじめて、直ぐにその威力に驚かされた。それまですべり気味だった斜面に確実に食いついてくれる。すべることに気を取られることが全くない。初心者ではない人にとっては当たり前のことかもしれないが、私にとっては凄いことに思えた。しかし、20分程すると膝に負担がかかり始めた。確実に食い込んで、すべる"あそび"が無いため脚を降ろした時のショックがストレートに膝にくる。それを見計らったように中山さんに「少しガニ股気味に歩くと楽だ。」と言われ、そうしてみるとその通りで本当に楽になった。
さらに登り続け、しばらくしたところでトレールの右側に3,4m四方の雪の整地後が見れた。中山さんによれば、年末あたりの大雪で前へ進めぬ状況になり止む無くここでテン泊したのだろうとのことだった。まだ高度をそれ程上げていない処と思われるので相当の降雪だったのだろう。それを裏付けるかのように、このあたりまではふみ後が何とか残っていたが、それ以降は見つけられなくなった。そしてそれからは悪戦苦闘の連続である。雪の落とし穴にズボズボと体が落ちる。トップを行くあの中山さんが、ひっくり返ってザックを投げ出して起き上がり、抜け出す様を見たときには本当に驚いた。こんなにベテランの人でもこうなることがあるんだ、と。
中山さん以外は2年目の章子さん、新人の池田さんと私であるからトップは必然的に中山さんが行わざるを得なく、大変な思いをされたと思う。踏み後が全く見られない素地の雪原から、硬めの処、下にある踏み後をストックを使って辿っていく技術は長い経験のなせる術なのだろう。私には神業としか思えなかった。中山さんの後を進んでも、脚はとられ、穴に落ち込み腰、胸まで埋まり登攀というよりも、全身を使って"もがく"感じで進み、凄まじいエネルギーを使う。それでも暫くしてからは、見よう見真似ねで3人も加わり4人で順繰りにトップでラッセルをさせてもらうようになった。
踏み後のない雪面でも、緑の樅の木の葉が見えるところは落とし穴が待ち構えていること、周囲より何となしに低く見える処は比較的雪が固いことなどが、経験、感覚的に少しづつ分かってくる。そういう感が当たった時は嬉しいもので、はずれた時は「うわっ!またか!!」という感じである。穴にはまった時や斜面がきついところでは、ピッケルを横にして両手で掴みながら体を押し上げる。しかし、こんなにきつい状況でも中山さんの気遣いとシャレ(というより○○○゛ギャグか?)には僭越ながら関心してしまう。「かかと(踵)が調子悪い人はいるか?」から"カカア(かみさん)と調子が悪いやつはいるか?"と言われた時には一瞬何を仰っているのか分からなかったが、数秒経ってから大笑いしてしまった。シャレは幾度も発せられたが、時には顔が引きつることもあった。たぶん雪山の寒さのせいでしょう。
そうこうしながら5回の小休止の後、13時30分過ぎに標高2千5百メートルのあたりでテント場を見つける。目標の森林限界より少し下だが、体力、雪の状況から樅の木々が聳えるゆるやかな南向き斜面のそことした。雪面を整地して、テントを張り、必要な物をザックから出して全員テントに入る。15時過ぎから夕飯を作りだし、16時頃には食べ始める。メニューは中山流"こてっちゃん"入りほうとう鍋。ありきたりの表現でしかないが、本当に体が芯まであったまり、鱈腹食べ旨かった。こてっちゃんと鷹の爪がこの料理の核心であるように思う。
それにしても、テント内の整理から鍋作りまで中山さん一人にやって頂いてしまったが、その手際の良さには目を見張った。予め外に蓄えた雪をテント内に取り込み、バーナーを2つ使って2段階で解凍、食材を順々に袋から出して鍋に入れていく一連作業には無駄な動きや停滞が全く無い。こんな小さなスペースでどうしてこんなにテキパキとできるのだろう? ここまでできるようになるには10年かかると聞いて、気後れしてしまう。
17時半頃には食べ終わり、18時に就寝。自分が目を覚ました時は3時半だったが、風と舞う雪がテントをバタつかせ、木から雪の塊が落ち、外がどんな様子か否が応でも察しがつく。トイレに行きたいのだが、とても外へ出る気にはなれない。ずっと我慢して寝袋の顔を出す部分を最小限に絞り込んで、みの虫状態となり、誰かの鼾や章子さんの「何これー!」という寝言を聞きながら朝を待つことに決め込む。
そうやってやり過ごすうち、5時に全員起床。2日目が始まる。
餅入りラーメンを食べ、お湯をテルモスに入れる。テントをたたんで7:30出発。1回目8:10の小休止を少し過ぎたあたりだろうか、森林限界に出る。この日も始めのうちは中山さんがトップでラッセルを続けるが、途中から4人交替とする。ハイマツが微かに頭を出す稜線上を登るのは、とても気分がいい。森の中を歩くのもいいが、目の前にさえぎるものが無く、トレールも踏み後も何もなくただただ前へ伸びる白い稜線をつたって歩を進めるのがこんなに気持ちの良いものとは思いもよらなかった。
凍てついた風が頬を打つし、勿論ラッセルも息があがる。けれどそれを凌駕するものがある。自分がトップを進んでいる時、このまま交替せずに頂上まで行ってしまいたい気分だった。2回目9:10の小休止の時、全員の行動食、ツェルト、若干の登攀具のみを一番小さな池田さんのザックに入れ、他はデポしていくこと、赤岳−行者小屋経由の縦走は止め、昨日と同じコースをピストンすることに決める。ここから尾根の先を眺めると、2,3百メートル先から傾斜がかなりきつくなる。小休止後傾斜がきつくなったあたりから、中山さんが1人でトップを登る。上がるにつれて積雪は薄くなり、ところどころ岩が剥き出している。ピッケルを杖代わりではなく、ピックを斜面に刺して登る処もでてくる。
途中池田さんのアイゼンが右、左と2回外れてしまうアクシデントにも見舞われるが、落ち着いて一人で処理する。私と同様、章子さんもちょと息が苦しそうだったが、肝っ玉お姉さん(?)のど根性でひるむ気配は微塵もなく斜面にくらいついていく。中山さんと3人の距離が20〜30m程離れながらも、小休止を入れず11:50杣添尾根を登りつめ三又峰に立つ。そこで即座に中山さんが、3人の体力と池田さんのアイゼンの調子が今一つであることを考慮し、横岳、赤岳へは行かず、下山することを決める。
峰上は曇天で風も強く長くは居られない。10分程の小休止後、下山する。
下山は滑りやすく、慎重に降りる。樹林帯に戻ってからも登るときよりも、更に落とし穴に落ち込み易く、何度ももがく。
16:15無事昨日の出発点である横岳登山口着。途中携帯で頼んでおいたタクシーとタイミングよく出会い、野辺山駅へと向かい、更に小海線にて野辺山駅へ。野辺山駅からスーパーあずさ30号に乗り込み、各々買い込んだ駅弁、ビール、酎ハイで反省会。
今回の山行は結果的には目標である杣添尾根−赤岳−行者小屋の縦走は果たせなかった。けれど、それが敗退であるとは私には思えない。あくまでも外的環境が予定より厳しかったことによる計画変更である。雪が非常に多く、又夜の気温も中山さんでさえあまり経験のない寒さだった。そのため計画変更を余儀なくされた。けれども、その変更もいわゆる"想定の範囲内"だし、環境の厳しさ故、経験できたことも多く、大きい。個人的なことを言えば、何から何まで中山さんに頼りきりだったけれども、初めての"雪山"を無事経験することが出来、登攀技術、生活技術、そして雪山道具使用を学べたことは非常に意義深い。
2年目の章子さん、雪山2度目の池田さんは、私程ではないかもしれないが、やはり充分に満足されており、車内反省会では早くも今年の沢登りなどに話が沸いた。新宿に着いて小田急線に乗り込み、一人充足した気分に酔いしれる。背中に80Lのザック、足にダブルブーツでママチャリをこぎ、肩で風をきって成城のお邸街を駆け抜ける。
「金は無いけど、おれは人生充実させてるぞ!」
以上
沢を登攀する中山さん。
三又峰で。
行程:1月6日 新宿駅発(20:00)?(スーパーあずさ33号)?小淵沢駅着(同21:54)
7日 小淵沢駅発(6:11)?(小海線)?野辺山駅着(6:46)?(タクシー)? 横岳登山口より入山(7:15)?(杣添尾根)?テント場着(14時前)
8日 テント場発(7:30)?(杣添尾根)?三又峰(11:55)?(同尾根下山)?横岳登山口着(15:10)?(タクシー)?野辺山駅(15:30-16:57)? 小渕沢駅(17:29-17:41)?新宿駅(19:35)