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清野さんから写真が届きました。
「8日?9日で土樽はタカマタギに行って来ました。
といっても、時ならぬ大雪に見舞われ1060m
地点で幕営して、日曜はラッセル訓練しながら
下山です。
進入会員の小林さん、木村さんお疲れさんでした。
下山後は岩の湯に立ち寄り、中野屋のへぎそば
でしめました」
記録はのちほど。
初日の登り返し(小林さん撮影)
_____________________________________________________________________
「8日?9日で土樽はタカマタギに行って来ました。
といっても、時ならぬ大雪に見舞われ1060m
地点で幕営して、日曜はラッセル訓練しながら
下山です。
進入会員の小林さん、木村さんお疲れさんでした。
下山後は岩の湯に立ち寄り、中野屋のへぎそば
でしめました」
記録はのちほど。
初日の登り返し(小林さん撮影)
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CL:清野・両角・山本
両角さんの車で土樽駅まで入り駅にてビバーク。前日雪が降ったようで、新たな積雪が30??40?ほど。
4月1日
6:40土樽駅を出発。橋を渡ってすぐに沢沿いに尾根の取り付きを目指すが、除雪された雪の壁を乗り越えるのに一苦労する。輪かんを着けて歩き始めるが、膝から腿くらいまでのラッセルとなり大汗をかきながら進む。トレースの無い雪面に踏み込んで行くのは真に気持ちの良いものだ。天気は穏やかで、風も無く晴れ渡っている。橋から水平距離200mほど魚の川沿いに下ると別荘風の建物が有り、7:40 此処から荒沢山の南側の尾根に取り付く。何しろ暑い。眩しい。3人が交替でトップを切り雪と格闘する。3人が一巡すると休憩を取り、再び交代でラッセルする。だんだんと近づいて来る稜線の複雑な地形・雪庇の張り出し・キレット上の落ち込み・斜度のきつい雪壁を眺めながらひたすら登る。頂上が近づくと、雪の下から石楠花の枝が輪かんに絡みつき疲労度が増す。
12:00 標高1320mの荒沢山山頂・標高差約650mを4時間半かけてのラッセルで山頂に立つ。周りの山々が見渡せる見通しの良い頂上を独占して昼食を摂る。良い天気だ。予報では明日は下り坂らしい。此処で泊まるには早過ぎるし、明日の行程が長くなる。とは言え、足拍子まで抜けるには時間が足らない。稜線上に泊まれる様なスペースが有るのだろうか?下から見えた、キレットの通過は可能なのか?色々考えていても仕方が無いので、兎に角行ける所まで行って見てどうするか決める事にする。12:35出発。輪かんをアイゼンに替えて歩き始めるが、すぐにナイフリッジの通過となり、ザイルを出すことになる。急な雪壁を下り再びやせ尾根へと這い上がる。アンザイレンしたままの登行が続く。やがて大きく落ち込む稜線の下りを露出した垂壁が阻む。右側・南西側のブッシュを懸垂下降で15m程下りトラバースして尾根上の鞍部に戻る。再びナイフリッジを進むと15mほどの雪壁で傾斜がきつい。両角さんがリードで取り付くが、核心部をどうしても突破できず、清野さんに交替。清野さんは空身になり、両角さんのアックスを借りて、ダブルアックスで取り付き、何とか突破した。雪の状態も余り良くないので、いつ足元のスッテップが崩れるのではないかと冷や冷やものだ。滑り出したら間違いなくどちらかの谷へまっしぐらだろう。此処の通過でかなりの時間を費やしてしまった。リードの清野さんは、壁に取り付いたままかなりの時間スッテプを切ったり、スタンスを固めたり試行錯誤。下で確保する方も、日の当たらない場所で、だんだんと風も出てきて、足場は悪く、腹は減って、鼻水は流れ。かなり疲労してしまった。雪壁を登りきった所で暫し休憩する。抜けるのは無理だが明るいうちに何とか泊まれる場所を確保しなければならない。難所は通過したものの、雪庇やらクレバスの通過で全く気の休まる所が無い。
17:00 荒沢山と足拍子山の中間辺りの尾根上にいくらか平らなスペースを見つけることが出来た。泊まるには此処しかない。雪庇の際までを整地すると結構快適なテント場となった。テントに潜り込むと疲れがどっと出た。しっかり飯を食い、しっかり酒も呑み21:00 就寝。
4月2日
4時頃、風の音で目を覚ます。悪天候の兆しだろうか。テントがばたついて、中に誰かいないと飛ばされそうだ。早々に起き出し朝食をとる。6時過ぎ出発。風が強い。昨日で核心部は終わりかと思ったがそうは行かない。テント場を出るなりザイルを出すことになる。コンテとスタッカとを繰り返して、ナイフリッジ・雪壁の登攀となり、交替でリードする。傾斜がきつく真っ直ぐに下れない所では、稜線を捲き気味に絡んで鞍部へトラバースすることになるが、岩の斜面に雪が張り付いただけで所々岩が露出し心許無い。雨がぱらつく事も有ったが、足拍子への登りに掛るころには薄日も差し、アイゼンの団子と格闘しながら大汗をかく。足拍子への登りは、遠目に見たよりも傾斜はきつくは無かったが、クレバスがあちこちに口を開け、ルートファインディングに気を使う。頂上からの下りも雪庇が裂けて気持ちが悪い。去年登った時とは全く違う景観だ。尾根の分岐となる1142m地点辺り(14:20)まで雪庇の張り出しが続いたのでザイルをつけたまま歩く。ここまでは緊張の連続で、のんびりした気分で休憩できる場所も無かった。此処からは尾根上には雪は無く、踏み跡を拾いながら一気に下ると駅前の橋の真正面に出られた。15:30土樽駅に帰還。
荒沢山から足拍子山までは水平距離1キロ位のものだが9時間近く掛ってしまった。今回の反省として、ダブルアックスは必携だ。ちょっと充実しすぎた二日間でした。(記録:山本)
両角さんの車で土樽駅まで入り駅にてビバーク。前日雪が降ったようで、新たな積雪が30??40?ほど。
4月1日
6:40土樽駅を出発。橋を渡ってすぐに沢沿いに尾根の取り付きを目指すが、除雪された雪の壁を乗り越えるのに一苦労する。輪かんを着けて歩き始めるが、膝から腿くらいまでのラッセルとなり大汗をかきながら進む。トレースの無い雪面に踏み込んで行くのは真に気持ちの良いものだ。天気は穏やかで、風も無く晴れ渡っている。橋から水平距離200mほど魚の川沿いに下ると別荘風の建物が有り、7:40 此処から荒沢山の南側の尾根に取り付く。何しろ暑い。眩しい。3人が交替でトップを切り雪と格闘する。3人が一巡すると休憩を取り、再び交代でラッセルする。だんだんと近づいて来る稜線の複雑な地形・雪庇の張り出し・キレット上の落ち込み・斜度のきつい雪壁を眺めながらひたすら登る。頂上が近づくと、雪の下から石楠花の枝が輪かんに絡みつき疲労度が増す。
12:00 標高1320mの荒沢山山頂・標高差約650mを4時間半かけてのラッセルで山頂に立つ。周りの山々が見渡せる見通しの良い頂上を独占して昼食を摂る。良い天気だ。予報では明日は下り坂らしい。此処で泊まるには早過ぎるし、明日の行程が長くなる。とは言え、足拍子まで抜けるには時間が足らない。稜線上に泊まれる様なスペースが有るのだろうか?下から見えた、キレットの通過は可能なのか?色々考えていても仕方が無いので、兎に角行ける所まで行って見てどうするか決める事にする。12:35出発。輪かんをアイゼンに替えて歩き始めるが、すぐにナイフリッジの通過となり、ザイルを出すことになる。急な雪壁を下り再びやせ尾根へと這い上がる。アンザイレンしたままの登行が続く。やがて大きく落ち込む稜線の下りを露出した垂壁が阻む。右側・南西側のブッシュを懸垂下降で15m程下りトラバースして尾根上の鞍部に戻る。再びナイフリッジを進むと15mほどの雪壁で傾斜がきつい。両角さんがリードで取り付くが、核心部をどうしても突破できず、清野さんに交替。清野さんは空身になり、両角さんのアックスを借りて、ダブルアックスで取り付き、何とか突破した。雪の状態も余り良くないので、いつ足元のスッテップが崩れるのではないかと冷や冷やものだ。滑り出したら間違いなくどちらかの谷へまっしぐらだろう。此処の通過でかなりの時間を費やしてしまった。リードの清野さんは、壁に取り付いたままかなりの時間スッテプを切ったり、スタンスを固めたり試行錯誤。下で確保する方も、日の当たらない場所で、だんだんと風も出てきて、足場は悪く、腹は減って、鼻水は流れ。かなり疲労してしまった。雪壁を登りきった所で暫し休憩する。抜けるのは無理だが明るいうちに何とか泊まれる場所を確保しなければならない。難所は通過したものの、雪庇やらクレバスの通過で全く気の休まる所が無い。
17:00 荒沢山と足拍子山の中間辺りの尾根上にいくらか平らなスペースを見つけることが出来た。泊まるには此処しかない。雪庇の際までを整地すると結構快適なテント場となった。テントに潜り込むと疲れがどっと出た。しっかり飯を食い、しっかり酒も呑み21:00 就寝。
4月2日
4時頃、風の音で目を覚ます。悪天候の兆しだろうか。テントがばたついて、中に誰かいないと飛ばされそうだ。早々に起き出し朝食をとる。6時過ぎ出発。風が強い。昨日で核心部は終わりかと思ったがそうは行かない。テント場を出るなりザイルを出すことになる。コンテとスタッカとを繰り返して、ナイフリッジ・雪壁の登攀となり、交替でリードする。傾斜がきつく真っ直ぐに下れない所では、稜線を捲き気味に絡んで鞍部へトラバースすることになるが、岩の斜面に雪が張り付いただけで所々岩が露出し心許無い。雨がぱらつく事も有ったが、足拍子への登りに掛るころには薄日も差し、アイゼンの団子と格闘しながら大汗をかく。足拍子への登りは、遠目に見たよりも傾斜はきつくは無かったが、クレバスがあちこちに口を開け、ルートファインディングに気を使う。頂上からの下りも雪庇が裂けて気持ちが悪い。去年登った時とは全く違う景観だ。尾根の分岐となる1142m地点辺り(14:20)まで雪庇の張り出しが続いたのでザイルをつけたまま歩く。ここまでは緊張の連続で、のんびりした気分で休憩できる場所も無かった。此処からは尾根上には雪は無く、踏み跡を拾いながら一気に下ると駅前の橋の真正面に出られた。15:30土樽駅に帰還。
荒沢山から足拍子山までは水平距離1キロ位のものだが9時間近く掛ってしまった。今回の反省として、ダブルアックスは必携だ。ちょっと充実しすぎた二日間でした。(記録:山本)
2006年1月6日(金)?8日(日)
メンバー 中山CL(CL・食当) 西舘章子SL 池田 須藤(記録)
6日新宿20時発スーパーあずさ33号に4人全員乗り込んでの出発。前日、西舘(彰)さんの足にトラブルが起き、急遽参加見合わせとなってしまった。前年末に西館邸にて打ち合わせを行い準備万端で望み、皆で楽しみにしていたので残念。
列車の中で、人員減になったことと、雪が予想より多そうなことから、いくつかのルートオプションの説明を中山さんから受ける。他、須藤がアイゼン装着方法を教えて頂いたりする。
小淵沢駅に10時前に着く。コンビニに西館章子さん(以下章子さん)と池田さんが買い物に行くも早くも閉店。こんなに早く閉まるのに"コンビニ"というのだろうか? 待合室にて例の如く一杯やって就寝。が、その後に列車が3,4本到着する度に登山客が下車しては、同様に待合室で仮眠、その支度のためのゴソゴソ音で眠れない。それは仕方のない事ではあるが、一人ひどいのがいた。コッヘル、バーナーで食事を作っている。控えめにやってもら
えればいいのだが、コッヘルを床に落としているとしか思えない金属音を始終鳴らし続ける。いったいどういう神経をしているのだろうか?結局私は一睡もできず、他の3人もよく眠れなかった。不快な輩はどこにでもいるが、人間が最低確保しなければならないことを邪魔するのだけは止めてもらいたい。一発怒鳴っておけば良かったと今更思う。
ともあれ翌朝5:15分起床。朝食を摂り、お湯を沸かし各人のテルモスへ入れた後小海線に乗り込み、車内にてスパッツ等登山準備を整える。野辺山駅にて下車し、予約を入れておいたタクシーを電話で呼び、20分ほどで横岳登山口に着く。タクシー車内から見た樹景は、針葉樹ばかりで、あまり幹が太くない。昔、近くの火山の溶岩流で焼け流されたのだろうか?
タクシーを登山口で下車後7:15、直ぐに入山。入山とはいっても、未だあたりは別荘地で登山道ではない。1、2度軽い道探しをして、本当の(?)杣添川沿いの登山道へ入り、左岸を300m程歩いて右岸へ跨ぐ。樹相は、ここまでの樅の木々のみからダケカンバも混じるようになり、それらの幹の太さも力強い直径30cm程度のものが見られるようになる。川を跨いで直ぐ急な斜面があり、新人である私は初めてピッケルを突いて上がり、そこからは杣添尾根を登っていく。始めのうちは、アイゼン無しで登っていたが、入山約2時間後、9:20にアイゼンを装着する。装着して歩きはじめて、直ぐにその威力に驚かされた。それまですべり気味だった斜面に確実に食いついてくれる。すべることに気を取られることが全くない。初心者ではない人にとっては当たり前のことかもしれないが、私にとっては凄いことに思えた。しかし、20分程すると膝に負担がかかり始めた。確実に食い込んで、すべる"あそび"が無いため脚を降ろした時のショックがストレートに膝にくる。それを見計らったように中山さんに「少しガニ股気味に歩くと楽だ。」と言われ、そうしてみるとその通りで本当に楽になった。
さらに登り続け、しばらくしたところでトレールの右側に3,4m四方の雪の整地後が見れた。中山さんによれば、年末あたりの大雪で前へ進めぬ状況になり止む無くここでテン泊したのだろうとのことだった。まだ高度をそれ程上げていない処と思われるので相当の降雪だったのだろう。それを裏付けるかのように、このあたりまではふみ後が何とか残っていたが、それ以降は見つけられなくなった。そしてそれからは悪戦苦闘の連続である。雪の落とし穴にズボズボと体が落ちる。トップを行くあの中山さんが、ひっくり返ってザックを投げ出して起き上がり、抜け出す様を見たときには本当に驚いた。こんなにベテランの人でもこうなることがあるんだ、と。
中山さん以外は2年目の章子さん、新人の池田さんと私であるからトップは必然的に中山さんが行わざるを得なく、大変な思いをされたと思う。踏み後が全く見られない素地の雪原から、硬めの処、下にある踏み後をストックを使って辿っていく技術は長い経験のなせる術なのだろう。私には神業としか思えなかった。中山さんの後を進んでも、脚はとられ、穴に落ち込み腰、胸まで埋まり登攀というよりも、全身を使って"もがく"感じで進み、凄まじいエネルギーを使う。それでも暫くしてからは、見よう見真似ねで3人も加わり4人で順繰りにトップでラッセルをさせてもらうようになった。
踏み後のない雪面でも、緑の樅の木の葉が見えるところは落とし穴が待ち構えていること、周囲より何となしに低く見える処は比較的雪が固いことなどが、経験、感覚的に少しづつ分かってくる。そういう感が当たった時は嬉しいもので、はずれた時は「うわっ!またか!!」という感じである。穴にはまった時や斜面がきついところでは、ピッケルを横にして両手で掴みながら体を押し上げる。しかし、こんなにきつい状況でも中山さんの気遣いとシャレ(というより○○○゛ギャグか?)には僭越ながら関心してしまう。「かかと(踵)が調子悪い人はいるか?」から"カカア(かみさん)と調子が悪いやつはいるか?"と言われた時には一瞬何を仰っているのか分からなかったが、数秒経ってから大笑いしてしまった。シャレは幾度も発せられたが、時には顔が引きつることもあった。たぶん雪山の寒さのせいでしょう。
そうこうしながら5回の小休止の後、13時30分過ぎに標高2千5百メートルのあたりでテント場を見つける。目標の森林限界より少し下だが、体力、雪の状況から樅の木々が聳えるゆるやかな南向き斜面のそことした。雪面を整地して、テントを張り、必要な物をザックから出して全員テントに入る。15時過ぎから夕飯を作りだし、16時頃には食べ始める。メニューは中山流"こてっちゃん"入りほうとう鍋。ありきたりの表現でしかないが、本当に体が芯まであったまり、鱈腹食べ旨かった。こてっちゃんと鷹の爪がこの料理の核心であるように思う。
それにしても、テント内の整理から鍋作りまで中山さん一人にやって頂いてしまったが、その手際の良さには目を見張った。予め外に蓄えた雪をテント内に取り込み、バーナーを2つ使って2段階で解凍、食材を順々に袋から出して鍋に入れていく一連作業には無駄な動きや停滞が全く無い。こんな小さなスペースでどうしてこんなにテキパキとできるのだろう? ここまでできるようになるには10年かかると聞いて、気後れしてしまう。
17時半頃には食べ終わり、18時に就寝。自分が目を覚ました時は3時半だったが、風と舞う雪がテントをバタつかせ、木から雪の塊が落ち、外がどんな様子か否が応でも察しがつく。トイレに行きたいのだが、とても外へ出る気にはなれない。ずっと我慢して寝袋の顔を出す部分を最小限に絞り込んで、みの虫状態となり、誰かの鼾や章子さんの「何これー!」という寝言を聞きながら朝を待つことに決め込む。
そうやってやり過ごすうち、5時に全員起床。2日目が始まる。
餅入りラーメンを食べ、お湯をテルモスに入れる。テントをたたんで7:30出発。1回目8:10の小休止を少し過ぎたあたりだろうか、森林限界に出る。この日も始めのうちは中山さんがトップでラッセルを続けるが、途中から4人交替とする。ハイマツが微かに頭を出す稜線上を登るのは、とても気分がいい。森の中を歩くのもいいが、目の前にさえぎるものが無く、トレールも踏み後も何もなくただただ前へ伸びる白い稜線をつたって歩を進めるのがこんなに気持ちの良いものとは思いもよらなかった。
凍てついた風が頬を打つし、勿論ラッセルも息があがる。けれどそれを凌駕するものがある。自分がトップを進んでいる時、このまま交替せずに頂上まで行ってしまいたい気分だった。2回目9:10の小休止の時、全員の行動食、ツェルト、若干の登攀具のみを一番小さな池田さんのザックに入れ、他はデポしていくこと、赤岳−行者小屋経由の縦走は止め、昨日と同じコースをピストンすることに決める。ここから尾根の先を眺めると、2,3百メートル先から傾斜がかなりきつくなる。小休止後傾斜がきつくなったあたりから、中山さんが1人でトップを登る。上がるにつれて積雪は薄くなり、ところどころ岩が剥き出している。ピッケルを杖代わりではなく、ピックを斜面に刺して登る処もでてくる。
途中池田さんのアイゼンが右、左と2回外れてしまうアクシデントにも見舞われるが、落ち着いて一人で処理する。私と同様、章子さんもちょと息が苦しそうだったが、肝っ玉お姉さん(?)のど根性でひるむ気配は微塵もなく斜面にくらいついていく。中山さんと3人の距離が20〜30m程離れながらも、小休止を入れず11:50杣添尾根を登りつめ三又峰に立つ。そこで即座に中山さんが、3人の体力と池田さんのアイゼンの調子が今一つであることを考慮し、横岳、赤岳へは行かず、下山することを決める。
峰上は曇天で風も強く長くは居られない。10分程の小休止後、下山する。
下山は滑りやすく、慎重に降りる。樹林帯に戻ってからも登るときよりも、更に落とし穴に落ち込み易く、何度ももがく。
16:15無事昨日の出発点である横岳登山口着。途中携帯で頼んでおいたタクシーとタイミングよく出会い、野辺山駅へと向かい、更に小海線にて野辺山駅へ。野辺山駅からスーパーあずさ30号に乗り込み、各々買い込んだ駅弁、ビール、酎ハイで反省会。
今回の山行は結果的には目標である杣添尾根−赤岳−行者小屋の縦走は果たせなかった。けれど、それが敗退であるとは私には思えない。あくまでも外的環境が予定より厳しかったことによる計画変更である。雪が非常に多く、又夜の気温も中山さんでさえあまり経験のない寒さだった。そのため計画変更を余儀なくされた。けれども、その変更もいわゆる"想定の範囲内"だし、環境の厳しさ故、経験できたことも多く、大きい。個人的なことを言えば、何から何まで中山さんに頼りきりだったけれども、初めての"雪山"を無事経験することが出来、登攀技術、生活技術、そして雪山道具使用を学べたことは非常に意義深い。
2年目の章子さん、雪山2度目の池田さんは、私程ではないかもしれないが、やはり充分に満足されており、車内反省会では早くも今年の沢登りなどに話が沸いた。新宿に着いて小田急線に乗り込み、一人充足した気分に酔いしれる。背中に80Lのザック、足にダブルブーツでママチャリをこぎ、肩で風をきって成城のお邸街を駆け抜ける。
「金は無いけど、おれは人生充実させてるぞ!」
以上
沢を登攀する中山さん。
三又峰で。
行程:1月6日 新宿駅発(20:00)?(スーパーあずさ33号)?小淵沢駅着(同21:54)
7日 小淵沢駅発(6:11)?(小海線)?野辺山駅着(6:46)?(タクシー)? 横岳登山口より入山(7:15)?(杣添尾根)?テント場着(14時前)
8日 テント場発(7:30)?(杣添尾根)?三又峰(11:55)?(同尾根下山)?横岳登山口着(15:10)?(タクシー)?野辺山駅(15:30-16:57)? 小渕沢駅(17:29-17:41)?新宿駅(19:35)
メンバー 中山CL(CL・食当) 西舘章子SL 池田 須藤(記録)
6日新宿20時発スーパーあずさ33号に4人全員乗り込んでの出発。前日、西舘(彰)さんの足にトラブルが起き、急遽参加見合わせとなってしまった。前年末に西館邸にて打ち合わせを行い準備万端で望み、皆で楽しみにしていたので残念。
列車の中で、人員減になったことと、雪が予想より多そうなことから、いくつかのルートオプションの説明を中山さんから受ける。他、須藤がアイゼン装着方法を教えて頂いたりする。
小淵沢駅に10時前に着く。コンビニに西館章子さん(以下章子さん)と池田さんが買い物に行くも早くも閉店。こんなに早く閉まるのに"コンビニ"というのだろうか? 待合室にて例の如く一杯やって就寝。が、その後に列車が3,4本到着する度に登山客が下車しては、同様に待合室で仮眠、その支度のためのゴソゴソ音で眠れない。それは仕方のない事ではあるが、一人ひどいのがいた。コッヘル、バーナーで食事を作っている。控えめにやってもら
えればいいのだが、コッヘルを床に落としているとしか思えない金属音を始終鳴らし続ける。いったいどういう神経をしているのだろうか?結局私は一睡もできず、他の3人もよく眠れなかった。不快な輩はどこにでもいるが、人間が最低確保しなければならないことを邪魔するのだけは止めてもらいたい。一発怒鳴っておけば良かったと今更思う。
ともあれ翌朝5:15分起床。朝食を摂り、お湯を沸かし各人のテルモスへ入れた後小海線に乗り込み、車内にてスパッツ等登山準備を整える。野辺山駅にて下車し、予約を入れておいたタクシーを電話で呼び、20分ほどで横岳登山口に着く。タクシー車内から見た樹景は、針葉樹ばかりで、あまり幹が太くない。昔、近くの火山の溶岩流で焼け流されたのだろうか?
タクシーを登山口で下車後7:15、直ぐに入山。入山とはいっても、未だあたりは別荘地で登山道ではない。1、2度軽い道探しをして、本当の(?)杣添川沿いの登山道へ入り、左岸を300m程歩いて右岸へ跨ぐ。樹相は、ここまでの樅の木々のみからダケカンバも混じるようになり、それらの幹の太さも力強い直径30cm程度のものが見られるようになる。川を跨いで直ぐ急な斜面があり、新人である私は初めてピッケルを突いて上がり、そこからは杣添尾根を登っていく。始めのうちは、アイゼン無しで登っていたが、入山約2時間後、9:20にアイゼンを装着する。装着して歩きはじめて、直ぐにその威力に驚かされた。それまですべり気味だった斜面に確実に食いついてくれる。すべることに気を取られることが全くない。初心者ではない人にとっては当たり前のことかもしれないが、私にとっては凄いことに思えた。しかし、20分程すると膝に負担がかかり始めた。確実に食い込んで、すべる"あそび"が無いため脚を降ろした時のショックがストレートに膝にくる。それを見計らったように中山さんに「少しガニ股気味に歩くと楽だ。」と言われ、そうしてみるとその通りで本当に楽になった。
さらに登り続け、しばらくしたところでトレールの右側に3,4m四方の雪の整地後が見れた。中山さんによれば、年末あたりの大雪で前へ進めぬ状況になり止む無くここでテン泊したのだろうとのことだった。まだ高度をそれ程上げていない処と思われるので相当の降雪だったのだろう。それを裏付けるかのように、このあたりまではふみ後が何とか残っていたが、それ以降は見つけられなくなった。そしてそれからは悪戦苦闘の連続である。雪の落とし穴にズボズボと体が落ちる。トップを行くあの中山さんが、ひっくり返ってザックを投げ出して起き上がり、抜け出す様を見たときには本当に驚いた。こんなにベテランの人でもこうなることがあるんだ、と。
中山さん以外は2年目の章子さん、新人の池田さんと私であるからトップは必然的に中山さんが行わざるを得なく、大変な思いをされたと思う。踏み後が全く見られない素地の雪原から、硬めの処、下にある踏み後をストックを使って辿っていく技術は長い経験のなせる術なのだろう。私には神業としか思えなかった。中山さんの後を進んでも、脚はとられ、穴に落ち込み腰、胸まで埋まり登攀というよりも、全身を使って"もがく"感じで進み、凄まじいエネルギーを使う。それでも暫くしてからは、見よう見真似ねで3人も加わり4人で順繰りにトップでラッセルをさせてもらうようになった。
踏み後のない雪面でも、緑の樅の木の葉が見えるところは落とし穴が待ち構えていること、周囲より何となしに低く見える処は比較的雪が固いことなどが、経験、感覚的に少しづつ分かってくる。そういう感が当たった時は嬉しいもので、はずれた時は「うわっ!またか!!」という感じである。穴にはまった時や斜面がきついところでは、ピッケルを横にして両手で掴みながら体を押し上げる。しかし、こんなにきつい状況でも中山さんの気遣いとシャレ(というより○○○゛ギャグか?)には僭越ながら関心してしまう。「かかと(踵)が調子悪い人はいるか?」から"カカア(かみさん)と調子が悪いやつはいるか?"と言われた時には一瞬何を仰っているのか分からなかったが、数秒経ってから大笑いしてしまった。シャレは幾度も発せられたが、時には顔が引きつることもあった。たぶん雪山の寒さのせいでしょう。
そうこうしながら5回の小休止の後、13時30分過ぎに標高2千5百メートルのあたりでテント場を見つける。目標の森林限界より少し下だが、体力、雪の状況から樅の木々が聳えるゆるやかな南向き斜面のそことした。雪面を整地して、テントを張り、必要な物をザックから出して全員テントに入る。15時過ぎから夕飯を作りだし、16時頃には食べ始める。メニューは中山流"こてっちゃん"入りほうとう鍋。ありきたりの表現でしかないが、本当に体が芯まであったまり、鱈腹食べ旨かった。こてっちゃんと鷹の爪がこの料理の核心であるように思う。
それにしても、テント内の整理から鍋作りまで中山さん一人にやって頂いてしまったが、その手際の良さには目を見張った。予め外に蓄えた雪をテント内に取り込み、バーナーを2つ使って2段階で解凍、食材を順々に袋から出して鍋に入れていく一連作業には無駄な動きや停滞が全く無い。こんな小さなスペースでどうしてこんなにテキパキとできるのだろう? ここまでできるようになるには10年かかると聞いて、気後れしてしまう。
17時半頃には食べ終わり、18時に就寝。自分が目を覚ました時は3時半だったが、風と舞う雪がテントをバタつかせ、木から雪の塊が落ち、外がどんな様子か否が応でも察しがつく。トイレに行きたいのだが、とても外へ出る気にはなれない。ずっと我慢して寝袋の顔を出す部分を最小限に絞り込んで、みの虫状態となり、誰かの鼾や章子さんの「何これー!」という寝言を聞きながら朝を待つことに決め込む。
そうやってやり過ごすうち、5時に全員起床。2日目が始まる。
餅入りラーメンを食べ、お湯をテルモスに入れる。テントをたたんで7:30出発。1回目8:10の小休止を少し過ぎたあたりだろうか、森林限界に出る。この日も始めのうちは中山さんがトップでラッセルを続けるが、途中から4人交替とする。ハイマツが微かに頭を出す稜線上を登るのは、とても気分がいい。森の中を歩くのもいいが、目の前にさえぎるものが無く、トレールも踏み後も何もなくただただ前へ伸びる白い稜線をつたって歩を進めるのがこんなに気持ちの良いものとは思いもよらなかった。
凍てついた風が頬を打つし、勿論ラッセルも息があがる。けれどそれを凌駕するものがある。自分がトップを進んでいる時、このまま交替せずに頂上まで行ってしまいたい気分だった。2回目9:10の小休止の時、全員の行動食、ツェルト、若干の登攀具のみを一番小さな池田さんのザックに入れ、他はデポしていくこと、赤岳−行者小屋経由の縦走は止め、昨日と同じコースをピストンすることに決める。ここから尾根の先を眺めると、2,3百メートル先から傾斜がかなりきつくなる。小休止後傾斜がきつくなったあたりから、中山さんが1人でトップを登る。上がるにつれて積雪は薄くなり、ところどころ岩が剥き出している。ピッケルを杖代わりではなく、ピックを斜面に刺して登る処もでてくる。
途中池田さんのアイゼンが右、左と2回外れてしまうアクシデントにも見舞われるが、落ち着いて一人で処理する。私と同様、章子さんもちょと息が苦しそうだったが、肝っ玉お姉さん(?)のど根性でひるむ気配は微塵もなく斜面にくらいついていく。中山さんと3人の距離が20〜30m程離れながらも、小休止を入れず11:50杣添尾根を登りつめ三又峰に立つ。そこで即座に中山さんが、3人の体力と池田さんのアイゼンの調子が今一つであることを考慮し、横岳、赤岳へは行かず、下山することを決める。
峰上は曇天で風も強く長くは居られない。10分程の小休止後、下山する。
下山は滑りやすく、慎重に降りる。樹林帯に戻ってからも登るときよりも、更に落とし穴に落ち込み易く、何度ももがく。
16:15無事昨日の出発点である横岳登山口着。途中携帯で頼んでおいたタクシーとタイミングよく出会い、野辺山駅へと向かい、更に小海線にて野辺山駅へ。野辺山駅からスーパーあずさ30号に乗り込み、各々買い込んだ駅弁、ビール、酎ハイで反省会。
今回の山行は結果的には目標である杣添尾根−赤岳−行者小屋の縦走は果たせなかった。けれど、それが敗退であるとは私には思えない。あくまでも外的環境が予定より厳しかったことによる計画変更である。雪が非常に多く、又夜の気温も中山さんでさえあまり経験のない寒さだった。そのため計画変更を余儀なくされた。けれども、その変更もいわゆる"想定の範囲内"だし、環境の厳しさ故、経験できたことも多く、大きい。個人的なことを言えば、何から何まで中山さんに頼りきりだったけれども、初めての"雪山"を無事経験することが出来、登攀技術、生活技術、そして雪山道具使用を学べたことは非常に意義深い。
2年目の章子さん、雪山2度目の池田さんは、私程ではないかもしれないが、やはり充分に満足されており、車内反省会では早くも今年の沢登りなどに話が沸いた。新宿に着いて小田急線に乗り込み、一人充足した気分に酔いしれる。背中に80Lのザック、足にダブルブーツでママチャリをこぎ、肩で風をきって成城のお邸街を駆け抜ける。
「金は無いけど、おれは人生充実させてるぞ!」
以上
沢を登攀する中山さん。
三又峰で。
行程:1月6日 新宿駅発(20:00)?(スーパーあずさ33号)?小淵沢駅着(同21:54)
7日 小淵沢駅発(6:11)?(小海線)?野辺山駅着(6:46)?(タクシー)? 横岳登山口より入山(7:15)?(杣添尾根)?テント場着(14時前)
8日 テント場発(7:30)?(杣添尾根)?三又峰(11:55)?(同尾根下山)?横岳登山口着(15:10)?(タクシー)?野辺山駅(15:30-16:57)? 小渕沢駅(17:29-17:41)?新宿駅(19:35)
メンバー:両角・清野・野口・山本
23時八王子駅集合。両角さんの車で中央道を甲府へ。道の駅「白根」の向かいにある農協か何かの建物の軒下でビバーク。ホントに物凄く寒い。シュラフに潜り込んで手だけ出して寝酒を呑んでいたのだが、寒いと言うより痛い。ここでこんなに寒いのだから、山へ入ったらえらい事だろう。厳冬期の登山は体に悪い。春山がいいなー・・・
1/7 南アルプス林道のゲートが8時に開いた。夜叉神峠入口まで車ではい入り、8:30歩き始める。ホントに寒いんだから。暗くて長いトンネルをコツコツと歩く。アスファルトの道をプラブで歩くのは辛いものがある。気温がかなり低いのだろう、少しでも吹かれると凍るようで、厚着しての林道歩きでも汗が出ない。ボーと歩いていた訳でも無いのだが、間抜けな事に鷲住山から吊り尾根へ向かう分岐を見逃してしまい、立石沢辺りで間違いに気付いたがもう後の祭りだ。吊り尾根の計画を諦め、広河原経由で大樺沢から北岳をアタックする事にする。13:11広河原着。大樺沢へ向かうが、道を間違えてしまい、白根お池へ向かう尾根上の道を進む。間違いに気付いたのは、翌朝歩き始めてからだった。情けない。15時、樹林帯の中1855m付近にて幕営する。余り良い幕場とはいえないが、兎に角整地する。サラサラの雪で踏んでも踏んでも固まらない。何とか無理やりテントを張ったが、非常に居住性が良くない。何とかテントに潜り込むが全く寒い。後は、酒呑んで飯食って眠るだけ。明日は早起きしないと頂上は踏めまい。夜は満点の星空でした。
1/8 珍しくテントで熟睡できた。こんな事は滅多に無いのだが、低い方の端で寝た両角さんは、雪が沈んで体が落ちてしまいちっとも眠れなかったとぼやいていた。外は快晴だ。5時起きしたものの、飯を食い水を作るうちに結局出発は7時となった。荷を軽くして一気にアタック。余り雪も無いので輪かんを残地して出発する。10分も歩くと雪が深くなり始め、この道が白根お池へ向かう道であることを示す道標があった。ベンチが有り平らな広場になっており、どうせなら此処に泊まっていれば快適な夜を過ごせただろうが、分からないのだから仕方が無い。此処からは、ひたすら尾根上の道を登ることになるが、だんだん雪が深くなり、膝・腿くらいのラッセルとなる。トラバースに掛ると更に雪は増え、処によっては腰以上のラッセルを強いられた。このルートは、雪が積もってから殆ど誰も踏んでいないのではないかと思われる。10時半、白根お池小屋に着く。この先も暫く樹林帯が続く訳で、このペースではとても山頂は踏めまい。お池小屋は最近建て替えられたのか、新しく綺麗な小屋だ。冬期小屋として一部開放されていた。少なくとも、ここら辺りに泊まっていなくては、登頂は無理だ。11時下山開始。テントを広河原まで下ろす。会山行なのに全く間の抜けたことになってしまった。
翌朝は早々に引き揚げ、温泉につかる。いざ出発と思いきや、車がエンストし・・・・近所のガソリンスタンドの人に助けてもらう。八王子まで戻って、大いに反省する。山に入る前に道を間違えてしまうとは、・・・人任せにしてはいけない。もっと緊張感を持たなくては。と言う訳で、公式記録として残せないような顛末でした。記録からは密かに抹消して下さい。
23時八王子駅集合。両角さんの車で中央道を甲府へ。道の駅「白根」の向かいにある農協か何かの建物の軒下でビバーク。ホントに物凄く寒い。シュラフに潜り込んで手だけ出して寝酒を呑んでいたのだが、寒いと言うより痛い。ここでこんなに寒いのだから、山へ入ったらえらい事だろう。厳冬期の登山は体に悪い。春山がいいなー・・・
1/7 南アルプス林道のゲートが8時に開いた。夜叉神峠入口まで車ではい入り、8:30歩き始める。ホントに寒いんだから。暗くて長いトンネルをコツコツと歩く。アスファルトの道をプラブで歩くのは辛いものがある。気温がかなり低いのだろう、少しでも吹かれると凍るようで、厚着しての林道歩きでも汗が出ない。ボーと歩いていた訳でも無いのだが、間抜けな事に鷲住山から吊り尾根へ向かう分岐を見逃してしまい、立石沢辺りで間違いに気付いたがもう後の祭りだ。吊り尾根の計画を諦め、広河原経由で大樺沢から北岳をアタックする事にする。13:11広河原着。大樺沢へ向かうが、道を間違えてしまい、白根お池へ向かう尾根上の道を進む。間違いに気付いたのは、翌朝歩き始めてからだった。情けない。15時、樹林帯の中1855m付近にて幕営する。余り良い幕場とはいえないが、兎に角整地する。サラサラの雪で踏んでも踏んでも固まらない。何とか無理やりテントを張ったが、非常に居住性が良くない。何とかテントに潜り込むが全く寒い。後は、酒呑んで飯食って眠るだけ。明日は早起きしないと頂上は踏めまい。夜は満点の星空でした。
1/8 珍しくテントで熟睡できた。こんな事は滅多に無いのだが、低い方の端で寝た両角さんは、雪が沈んで体が落ちてしまいちっとも眠れなかったとぼやいていた。外は快晴だ。5時起きしたものの、飯を食い水を作るうちに結局出発は7時となった。荷を軽くして一気にアタック。余り雪も無いので輪かんを残地して出発する。10分も歩くと雪が深くなり始め、この道が白根お池へ向かう道であることを示す道標があった。ベンチが有り平らな広場になっており、どうせなら此処に泊まっていれば快適な夜を過ごせただろうが、分からないのだから仕方が無い。此処からは、ひたすら尾根上の道を登ることになるが、だんだん雪が深くなり、膝・腿くらいのラッセルとなる。トラバースに掛ると更に雪は増え、処によっては腰以上のラッセルを強いられた。このルートは、雪が積もってから殆ど誰も踏んでいないのではないかと思われる。10時半、白根お池小屋に着く。この先も暫く樹林帯が続く訳で、このペースではとても山頂は踏めまい。お池小屋は最近建て替えられたのか、新しく綺麗な小屋だ。冬期小屋として一部開放されていた。少なくとも、ここら辺りに泊まっていなくては、登頂は無理だ。11時下山開始。テントを広河原まで下ろす。会山行なのに全く間の抜けたことになってしまった。
翌朝は早々に引き揚げ、温泉につかる。いざ出発と思いきや、車がエンストし・・・・近所のガソリンスタンドの人に助けてもらう。八王子まで戻って、大いに反省する。山に入る前に道を間違えてしまうとは、・・・人任せにしてはいけない。もっと緊張感を持たなくては。と言う訳で、公式記録として残せないような顛末でした。記録からは密かに抹消して下さい。
今年の連休山行も無事終了しました。
メンバー 門脇 山本 野口 西舘×2 作田 樋田 小笠原
5月2日(月)〜3日(憲法記念日)
初めてのGW合宿は白馬岳。実は会に入る以前に一度来たことのある場所です。時期は9月、大雪渓はグズグズでほとんどが高巻きだったり、頂上の幕場で深夜ものすごい風に吹かれ、早朝テントをなんとか撤収して逃げて帰ってきた場所でもあります。
リベンジのスタートは2日夜の夜行「ムーンライト信州81号」。乗車後すぐにあちこりで酒盛りが始まり、車内は連休開始の高揚感に満ちています。窮屈な姿勢でなんとか眠り、翌朝5時半白馬着。除雪は終わったものの路肩崩壊で猿倉は臨時駐車場までしか行きません。結局猿倉荘まで20分ほど歩き、ここで身支度と整えます。
今回いちばんリキが入っているのは作田さん。80リットルのザックの他、缶ビールを24本、焼酎4リットルをボッカ。フレームザックにすべてをくくりつけて、総重量は30キロ以上。実は途中で重さに降られて滑落しそうになり、後半は門脇さんと山本さんが手伝ったのですが、持ってこようという心意気だけでもかないません。白馬尻を越え、西側の高台を幕営地に決定して荷物を降ろしたのが9時頃。テントを設営して11時過ぎに訓練開始。
初日は冬山講習で習った技術の復習でした。アイゼン歩行、ピッケルの使い方にはじまり、耐風姿勢など基本的な技術のおさらい。その後雪面にロープを張って支点通過の練習をしました。
カラビナをロープにかけて、斜面に設けられたルートをまわるのですが、問題はカラビナのかけかえです。足下が不安定な上に、オーバーグローブをつけてのカラビナワークはとまどうことしきり。あっという間に初日が終了しました。
テントにもどるとお待ちかねの夕食です。なんたってビールがあります。みんなの表情が違います。テントふた張りの真ん中に雪を掘ってテーブルと椅子を作り、大盛り上がりの宴会となりました。
5月4日(国民の休日)
2日目は4時起きで白馬岳登頂。最初はまとまって行動していたものの、体力脚力の違いで結局は個人行動となりました。トップは山本さんと野口さん。しばらく間を置いて西舘×2,作田さん、樋田さんが前へ後ろへと順番を代えながら、なんとなくひとかたまりになって行動しています。門脇さんは小笠原さんとマン・ツー・マン体制。以前来た時と違い大雪渓は歩きやすいのですが、単調な登りが徐々にこたえてくるためか、中段はペースが上がりません。お目付役がいないこともあり、適度に休憩を取って大自然を眺めて楽しんだり、村営小屋付近ではライチョウに遭遇したりと、まあだらしがないといわれてもしょうがない登り方。それでも頂上小屋にはお昼過ぎに到着。聞くと先行組は頂上へ向かったらしいのですが、かなりの強風に恐れをなしたか「まあ、ここまで来れば登ったも同然」とコーヒーを飲みながら門脇さんたちを待ちます。しばらくして門脇・小笠原組が到着しますが、門脇さんはそのまま頂上へ。すっかり休憩モードの私たちは後ろめたさを感じながらも立ち上がれず。ちょっと意気消沈しているところへさきほどの2人が戻ってきます。どうも風が強くてとても無理、とのこと。全員が揃ったところで快晴強風の白馬岳下降を開始します。
つらかった登りに比べ下りの楽なこと! 門脇さんと山本さんはグリセードであっという間に降りてゆきますし、西舘(彰)は尻セードでキャッキャとはしゃいでいます。駆け下りるように下山してテントへたどり着くと、こちらも風が強かったらしくテントが飛ばされていました。テントや小物を回収し、夕食開始。しかし風が強くタープは飛ぶし、いっこうに落ち着きません。食事もそこそこに、各テントに入ってご歓談。外では酔って大声で歌うヒトやら、飲み過ぎて吐くヒトやらいろいろだったようですが、まあご自由に。
5月5日(子供の日)
5時半起床、のんびりと食事をして最終日はまた雪訓です。この日はテント付近の高台への斜面を使い、タイトロープでの滑落確保、スタンディングアックスビレイ、バイルを使っての登攀方法などを体験。バイルで補助することで、かなりの斜面を登ることができることを全員で確認し、その斜面上から滑落確保の練習。バイルの支点はけっこう頑丈なのですが、ヒトが飛んでゆく慣性重量は想像以上。本気で止めないとこちらまで飛ばされます。門脇さんからは「痩せ尾根で相棒が滑落したとき、反対側に飛び込めるだけの気持ちがなければ、雪山なんか行けない」と言われ、考えさせられることも少なくありませんでした。
訓練が終わり撤収して下山開始。快適に猿倉まで降り、途中携帯で呼んでおいたタクシーをピックアップしてお風呂へ。汗を流した一行は八王子下車、両角さんと合流して酒訓へと突入。こうして貴重なゴールデンウィークが過ぎてゆくのでありました。
約30キロを背負う作田さん。
見晴らしのよい幕営地。先日の足拍子岳を思い出します。
初日は屋外で宴会。4日は強風のため、白馬岳から帰ってくるとテントがとばされていました。
訓練もバッチリです。初日は支点通過を中心に。5日はタイトロープでの滑落確保、スタンディングアックスビレイ、バイルを使っての登攀方法など。
メンバー 門脇 山本 野口 西舘×2 作田 樋田 小笠原
5月2日(月)〜3日(憲法記念日)
初めてのGW合宿は白馬岳。実は会に入る以前に一度来たことのある場所です。時期は9月、大雪渓はグズグズでほとんどが高巻きだったり、頂上の幕場で深夜ものすごい風に吹かれ、早朝テントをなんとか撤収して逃げて帰ってきた場所でもあります。
リベンジのスタートは2日夜の夜行「ムーンライト信州81号」。乗車後すぐにあちこりで酒盛りが始まり、車内は連休開始の高揚感に満ちています。窮屈な姿勢でなんとか眠り、翌朝5時半白馬着。除雪は終わったものの路肩崩壊で猿倉は臨時駐車場までしか行きません。結局猿倉荘まで20分ほど歩き、ここで身支度と整えます。
今回いちばんリキが入っているのは作田さん。80リットルのザックの他、缶ビールを24本、焼酎4リットルをボッカ。フレームザックにすべてをくくりつけて、総重量は30キロ以上。実は途中で重さに降られて滑落しそうになり、後半は門脇さんと山本さんが手伝ったのですが、持ってこようという心意気だけでもかないません。白馬尻を越え、西側の高台を幕営地に決定して荷物を降ろしたのが9時頃。テントを設営して11時過ぎに訓練開始。
初日は冬山講習で習った技術の復習でした。アイゼン歩行、ピッケルの使い方にはじまり、耐風姿勢など基本的な技術のおさらい。その後雪面にロープを張って支点通過の練習をしました。
カラビナをロープにかけて、斜面に設けられたルートをまわるのですが、問題はカラビナのかけかえです。足下が不安定な上に、オーバーグローブをつけてのカラビナワークはとまどうことしきり。あっという間に初日が終了しました。
テントにもどるとお待ちかねの夕食です。なんたってビールがあります。みんなの表情が違います。テントふた張りの真ん中に雪を掘ってテーブルと椅子を作り、大盛り上がりの宴会となりました。
5月4日(国民の休日)
2日目は4時起きで白馬岳登頂。最初はまとまって行動していたものの、体力脚力の違いで結局は個人行動となりました。トップは山本さんと野口さん。しばらく間を置いて西舘×2,作田さん、樋田さんが前へ後ろへと順番を代えながら、なんとなくひとかたまりになって行動しています。門脇さんは小笠原さんとマン・ツー・マン体制。以前来た時と違い大雪渓は歩きやすいのですが、単調な登りが徐々にこたえてくるためか、中段はペースが上がりません。お目付役がいないこともあり、適度に休憩を取って大自然を眺めて楽しんだり、村営小屋付近ではライチョウに遭遇したりと、まあだらしがないといわれてもしょうがない登り方。それでも頂上小屋にはお昼過ぎに到着。聞くと先行組は頂上へ向かったらしいのですが、かなりの強風に恐れをなしたか「まあ、ここまで来れば登ったも同然」とコーヒーを飲みながら門脇さんたちを待ちます。しばらくして門脇・小笠原組が到着しますが、門脇さんはそのまま頂上へ。すっかり休憩モードの私たちは後ろめたさを感じながらも立ち上がれず。ちょっと意気消沈しているところへさきほどの2人が戻ってきます。どうも風が強くてとても無理、とのこと。全員が揃ったところで快晴強風の白馬岳下降を開始します。
つらかった登りに比べ下りの楽なこと! 門脇さんと山本さんはグリセードであっという間に降りてゆきますし、西舘(彰)は尻セードでキャッキャとはしゃいでいます。駆け下りるように下山してテントへたどり着くと、こちらも風が強かったらしくテントが飛ばされていました。テントや小物を回収し、夕食開始。しかし風が強くタープは飛ぶし、いっこうに落ち着きません。食事もそこそこに、各テントに入ってご歓談。外では酔って大声で歌うヒトやら、飲み過ぎて吐くヒトやらいろいろだったようですが、まあご自由に。
5月5日(子供の日)
5時半起床、のんびりと食事をして最終日はまた雪訓です。この日はテント付近の高台への斜面を使い、タイトロープでの滑落確保、スタンディングアックスビレイ、バイルを使っての登攀方法などを体験。バイルで補助することで、かなりの斜面を登ることができることを全員で確認し、その斜面上から滑落確保の練習。バイルの支点はけっこう頑丈なのですが、ヒトが飛んでゆく慣性重量は想像以上。本気で止めないとこちらまで飛ばされます。門脇さんからは「痩せ尾根で相棒が滑落したとき、反対側に飛び込めるだけの気持ちがなければ、雪山なんか行けない」と言われ、考えさせられることも少なくありませんでした。
訓練が終わり撤収して下山開始。快適に猿倉まで降り、途中携帯で呼んでおいたタクシーをピックアップしてお風呂へ。汗を流した一行は八王子下車、両角さんと合流して酒訓へと突入。こうして貴重なゴールデンウィークが過ぎてゆくのでありました。
約30キロを背負う作田さん。
見晴らしのよい幕営地。先日の足拍子岳を思い出します。
初日は屋外で宴会。4日は強風のため、白馬岳から帰ってくるとテントがとばされていました。
訓練もバッチリです。初日は支点通過を中心に。5日はタイトロープでの滑落確保、スタンディングアックスビレイ、バイルを使っての登攀方法など。