Welcome Guest 
山行記録 カレンダー
« « 2024 12月 » »
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 1 2 3 4
月別アーカイブ

-

カテゴリ : 
執筆 : 
msc_kiroku2 2004-4-17 16:49
日程:4月17日 参加:渡邊・細谷SL・両角CL・門脇・平川(記録)・扇原 山行形態    4月度会山行  沢登り山域   丹沢 水無川本谷
 今年の沢初めは丹沢の水無川本谷となった。本来なら1週間前に会山行の予定だったものが参加者の都合が付かず、1週間スライドして実施となったものである。私としては久しぶりの本谷であり楽しみであった。  いつものように8時に渋沢集合であるが、今日は6人が参加なので車は両角さんと細谷さんの2台で戸沢まで入る。当初は戸沢までは歩きで入り、遡行後の下山を大倉まで直接下るはずだったが花立から源次郎尾根を下る計画に変更された ため車利用になったのであった。戸沢を9時過ぎに出発しF1には9時40分に着く。水量はこの時期ということもあってかなり少ないようだ。ここは渡辺リードで水流のすぐ脇を登る。「最初から濡れるのは嫌だな」と思っていたが今日は快晴で気温も高くシャワー も気持ち良かった。他に2パーティーほどをここで見かけたが背戸に入っていったようだった。  すぐ上のF2は右壁に門脇さんがザイルを張り支点通過の練習を行った。すんなり架け替え出来れば何のことは無いがそれにはちょっとした練習も必要だ。続くF3はちょっとしょっぱいトラバースの棚。ここも架け替えが必要だがそのためにザイルから離れずに登る為、スタンスの無い所を登りがちである。このF3上で既に11時40分になってしまった。F5ではまた両角氏、渡辺氏の2名が遊び出し10mの直登を始めた。まじめ組の他4人は右壁の斜上ルートで登ったが門脇さんの鶴の一声で下で騒ぐ2名にトップロープを投げてあげた。しかしトップロープでも難しいらしく落ち口はゴボウで上がるのが精一杯であったようだ。この上で書策新道が横切りF6CS、F7を越えるとF8の大滝に出合う。時刻は12時50分。少し遊び過ぎて時間は思ったより余計に掛かっている。  大滝は大分崩壊が進んでいて沢床も岩くずだらけだ。ここは普通落石に注意しながら右のガレを登り小尾根を乗越す大高巻きになる。しかしこの日は天気に浮かれてか、みょ?にハイになった3人がいて大滝の直登もやけに簡単そうに見えてしまったようだ。ここでパーティーは二手に分かれ高巻き組と直登組で大滝攻略にかかったがこれが今日の大失敗のスタートとなったわけだ。ハイな3人(仮にMo、Wa、Hiとする)は崩壊した左壁をちょっとビビリながらも壁の取り付きまで登り、最終意志決定後にHiリードですぐ上のテラスまで登ることにする。しかし非常に脆い壁でスタンスは崩れるホールドは抜けるで早くも安易な行動に後悔し始めていた。下からは安全地帯のようにさえ見えたバンド状のテラスも外傾して剥がれる寸前の岩塊で2つの残置ハーケンも申し訳程度のグラグラ状態である。唯一の逃げ道は落ち口とは反対の尾根までトラバースと見定め、グラグラ残置にセルフを取りながらも衝撃は無理と考えてボディ?ビレイでセカンドのMo氏を上げることとした。テラスでMo氏と相談の後Wa氏に上がってもらってそのまま尾根まで登ってもらう。が、しかし一歩踏み出す毎に足元は大きく崩れてしまう。これ以上は危険過ぎた。もはや退路は絶たれてしまった。Mo氏の判断で懸垂下降が決定されるがその支点となるのは先のグラグラである。少しでも確実にとハンマーで叩くと根本から岩が砕けてしまった。正直言ってとても凹んだ。こんな支点にぶら下がるよりはとWa,Hiで左右の壁に活路を見出そうと挑んだがそれぞれ1回づつ墜落しそうになり、3人またテラスの人となった。最後はやはり懸垂がMo氏により決定されて岩、残置に分散支点を取って恐る恐る下降し事無きを得たのであった。  この間約1時間半。沢床に降り立った時喉が乾いてヘロヘロであった。時間も押しているので先行組を急追することにする。大滝を巻くと滝の落ち口では3人が待っていてくれたが門脇さんが上からお助けを出す準備をしてくれていたのだそうだ。(でも門脇さんあそこはお助け出されてもちょっと無理だったと思います)ここから上はさしたる悪場も無く山頂と源次郎尾根は省略と考えながらもとりあえず稜線を目指す。  最後はお決まりのガレ場を詰めて15時20分、無事稜線に出た。20分ほど休んで書策新道の分岐まで表尾根を下り、朝通った本谷を横切って17時30分駐車場着。渋沢はこの日が丹沢の山開きらしく中学校の校庭では夜店が出されていて賑やかである。駅前のいつもの所で反省会を開き解散した。
 通いなれた丹沢という事で少し気の緩みがあった為かもしれない。F8の安易な取り付きでは冷静な状況判断と行動の必要性を改めて痛感させられた。結果的には3人とも怪我ひとつせずに済んだが大事に至ってもおかしくない事態であった。またひとつ勉強させられた。

カテゴリ : 
執筆 : 
msc_kiroku2 2004-4-2 16:47
山域/形態:南八ケ岳・阿弥陀岳 南稜/雪稜 日程:2004年4月2日夜出?5日朝帰り。 参加者:CL渡辺、SL(Iさん) (記録:渡辺)    突如として雪のついた阿弥陀岳を登らずにはいられなくなった。 4/2(金)深夜から4/3(土)早朝。八王子から夜行急行のムーンライト信州号にて茅野で下車。5:20まで駅舎で仮眠。6:10タクシー乗車。(交渉して\5000.-で落札)6:45水場に着。林道から立場川を渡渉後凍った林道通しに進む。正面から朝日がまぶしい。積雪少。8:00旭小屋着。大休止。仕事疲れ+寝不足によりやや体調不良。  旭小屋から尾根に雪ゼロの斜面を急登する。尾根に上がっても積雪ゼロ。晴天。無風。高度2000m程度から氷斜面。アイゼンなしでフラットステップ。ふくらはぎが疲れる。2200mから先急に積雪豊富となる。11:00樹林帯に囲まれた立場山山頂。積雪豊。トレース有り。時々抜けると脛まで潜る。11:30青ナギ手前樹林帯にて大休止。阿弥陀岳が迫り立つ。雪煙舞うが、南稜P3・P4ルート観察可能。風強し。次第に晴天から曇空へと変わる。疲労大の為ここで整地して今夜の幕と決める。13:00天幕設営終了し昼寝。17:00昼寝から起床、晩飯。降雪の予感。 4/4(日)3:30起床。シンシンと雪が降る。風弱。青ナギでも新雪の積雪多。「同ルート下降撤退の目安を、P3到着=9:00まで。」とし、アイゼン装着し6:00出発。無名峰までの樹林帯に入ると深雪ラッセル腿まで。左方から風止まず。降雪続く。P1・P2のコル風強し。眼鏡が凍り付き役に立たなくなる。  8:40 視界10m程度の中P3基部につく。ルンゼ内をバンドで伝う。リッジを回りこみやや下降する。右上するP3ガリー確認。アンザイレンして3ピッチ。(1P=ガリー内ボルト支点、2P=右上部潅木、3P=P3ガリー終了点ハイ松)チリ雪崩多し。下方からの吹雪強し。10:40 P3抜ける。小休止。10:50出発。  11:00 P4着。広めの雪原の基部。左からへつる。視界悪く高度感無し。アンザイレン2P。(1P=へつりから入りミックスの岩を攀じる。雪から掘り起こした親指大の潅木2本から鰯結びでビレー点工作。12:20 2P目で頂上直下テラス着。)風雪強く視界悪い。まつげが凍り付く。  P4終了点(テラス)岩壁の残置支点から阿弥陀山頂へ最後の1P。氷壁のジェードル内残置支点でランニングをとる。上部は胸までの深雪。垂直に近いラッセルを10m~12m越えた。指導標が頭だけ見える。頂上。アックスビレーで笑顔のIさんを迎える。13:00。視界5m~7m。降雪止まず。風強し。  小休止のち、地図上でコンパスを中岳コルに合わせてアンザイレンのまま下降開始。 30?40m程下降すると岩峰。右へ回りこむ。やや右へ傾いた針の通りに下山がはかどらない。左に岩稜を見つつ急斜面の樹林帯の中でのスタカットを何回も繰り返した後、刹那Iさんが落ちる。上からの確保。衝撃。止まった。大声で呼ぶ。返事がない。メインにプルージック。潅木につなぎ自己脱出。少し降りたところでIさんの声届く。無事。ガスが晴れる。左に明確な尾根。その前方に中山。そしてその先に鉱泉小屋。阿弥陀北稜にほぼそって下降しているらしい。雪崩の危険を感じる地帯での緊張するトラバース一回で北稜から派生する尾根に頼る下降に完全に切りかえる。忠実に尾根を下降したのち右の平坦な沢へ降りる。腰上までの深い平坦なラッセルを50m~100m。右後方上方に主稜が誇らしい。赤岳展望荘確認。頂上はガス。程なく行者小屋の屋根が見えた。薄暗い。単独行天幕一張のみ。しんしんと降雪続く。行者小屋一階の屋根下で荷を下ろす。17:30。無風。静。Iさんが言う。「絶対今日中に美濃戸まで降りたい。」  18:30 1時間の大休止の後美濃戸口へ向けて南沢登山道下降開始。へッ電を点け、広い雪原の中窪道がうっすら続くのをたよりに進む。程なく暗闇となる。21:00近く南沢登山道の渡渉点に気付かずに直進、適当な弱点から渡渉すると正面に堰堤。ついにここで力尽き21:30天幕ビバークとなす。十分な食料なく、早々にシュラフにもぐる。Iさん発熱。カイロで暖を取らせる。降雪続く。雪明りで明るくも長い夜。 4/5(月)5:30起床。Iさん驚異的な回復力で全快。6:00出発。晴天。白銀の世界。程なく美濃戸山荘につく。左後方に昨日立った阿弥陀の山頂。雪煙がまっていた。携帯からタクシーを呼ぶ。美濃戸口に7:00過ぎ着。タクシーで茅野駅まで。8:30特急まちの茅野駅ホームから互いに職場への連絡を取った。  既に平日の朝が穏やかに始まっていた。一度として弱音を吐かなかったIさんに感謝したい。

カテゴリ : 
執筆 : 
msc_kiroku2 2004-3-25 10:41
自主山行/スキー登山 平標山・巻機山     2004年3月25日(木)夜発?27日(土)        メンバー 中山 青木 菅原(記録) 25日   横浜駅にて往復割引切符「スキップ上越」を購入し、東京駅から新幹線に乗って一路越後湯沢駅へ。越後湯沢駅22時着。駅近くの「ビジネスホテルやなぎ」泊。 26日 くもりのち雪 5:30起床。越後湯沢駅6:05発のバスで平標山登山口へ。40分程。別荘地に入り、林道を進む。すぐに雪道となり、スキーにシールを付けて歩く。しばらくして足首辺りに違和感を覚える。靴擦れの始まりである。計画ではヤカイ沢沿いを登る予定であったが、ヤカイ沢の入口を通り過ぎてしまい、平元新道まで行くと遠回りになるので途中の尾根を登ることにする。すぐに林の中の急登となる。傾斜がきついとシールが上手く効かせられず、高度がなかなか稼げない。体力も消耗する。シール登行がヘタなのを思い知らされる。  青木、中山は順調に進んでおり、途中で私を待っててくれる。天気は下り坂、風も出てきて雪が舞い出す。平標山への稜線に辿りつくと強風が吹いている。私がバテたこともあり、平標山の山頂は踏まず、坪庭辺りから下山することにする。下山はヤカイ沢沿いを滑降する。ヤカイ沢の降り口を間違えることもあったが、滑降の途中、陽が差すこともあり、まずまずのスキー滑降となる。林道を経て別荘地まで下る。平標山登山口でバスに乗り越後湯沢駅へ。越後湯沢駅から上越線に乗って六日町駅へ。六日町駅からまたバスに乗って清水へ。民宿上田屋泊。
27日 くもりのち晴れ 5:30起床。7:20民宿上田屋の裏からスキーをはいて出発。米子沢の橋を渡り、井戸尾根へと進む。やがて傾斜が強くなり、井戸ノ壁と呼ばれる、さらに傾斜のきつい登りになる。シールが上手く効かせられない。ここでも、ルートファインディングとシール登行のヘタさを思い知らされる。なんとか井戸ノ壁を登り切り、広くはないが平坦になった焼松という所に出る。青空が広がっている。右に米子沢の谷が眺められる。ここで休憩するが、私は井戸ノ壁の登りで相当体力を消耗している。
 焼松を出発するが、青木、中山にどんどん遅れていく。ようやく尾根が広くなり、傾斜も緩くなった雪原に着く。正面に檜穴ノ段と呼ばれる高台がでんと構えている。ニセ巻機の山頂が眺められるが、バテた私には遠く遠く感じられる。左側にヌクビ沢、天狗岩。中山の説明も私はうわのそらで聞いている。青木、中山は檜穴ノ段をスキーで登って行くが、私は体力に不安を感じ、スキーをはずしザックに付け、ピッケルを出しつぼ足で直登することにする。息が切れる。雪の下は笹と低木である。ようやくのことで視界が開けて広い台地に出る。
 青木、中山はニセ巻機まで行って来たらしいが、私はここまでとし、滑降することにする。天気は上々だが、滑りを楽しむ気分ではない。とにかく足が痛い。腿が張りスキーを押さえられない。ボーゲンと横滑りをくり返してなんとか民宿上田屋に辿り着く。帰り支度をしてタクシーで越後湯沢駅へ。越後湯沢で蕎麦を食い、風呂に入る。19時半発の新幹線で一路東京駅へ。自宅に着いたのは23時頃になる。顔の日焼けと両足の靴擦れが残る。

カテゴリ : 
執筆 : 
msc_kiroku2 2004-3-20 10:39
日程:3月20日?21日 参加:渡邊・寺本・西村・野口(記録) 後日アップします。

カテゴリ : 
執筆 : 
msc_kiroku2 2004-3-13 10:45
日程:3月 13日 参加:細谷・清水・菅原・寺本・青木(記録) 記録提出済み。 後日アップします。
Copyright 2001-2014 msc-jp. All rights reserved.