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- 執筆 :
- msc_kiroku2 2005-11-23 20:30
メンバー:両角なつ子
「なつ子新道」を行く
高尾山ハイキングで気を良くした私は、MSCで丹沢集中があると聞くやいなやハイキングで合流させてもらおうと決め、参加を申し出た。会に戻ろうと思ったものの、高尾山を歩いただけではまだ不安が残り、この山行で再度歩けるかどうか確かめたかったのだ。皆は3パーティに分かれ沢を登り、花立に集中する。私は政次郎尾根から入り、塔ノ岳を経て花立で合流することにしていた。当日、戸沢の出合で門脇さんに「どこを登るの?」と聞かれ、そのように答えた。もっとも私はハイキングマップしか持っていず、そこには政次郎尾根の名称が書かれていなかったためその名を答えることができず、しかも初めての道だったゆえ、門脇さんにハイキングマップを見せ「ここを登ります」と説明したのだった。すでに「ア・ヤ・シ・イ」。門脇さんから「書策新道のほうが歩きやすいよ、景色もいいし」と言われ、書策なら何度か歩いているしその方がいいかと即変更。こうして私の「アヤシイ山行」は始まったのだった。
書策新道を歩きはじめ、本谷の渡渉点少し前になって靴の異常に気がついた。右足の靴底かかと部分がはがれ、バタバタしだしたのだ。そんなとき、ザックの天蓋の中ではピーッという音がし、携帯電話の電池が切れたと私に告げた。なんちゅうこっちゃ、時間もわからんようになってしもた。時計を持ってくるのを忘れたのだった。本谷の渡渉点に着き、さっそく靴の補修にとりかかった。やっぱなー、ハイキングつったってシュリンゲの数本は持ってくるべきだったよなー。テーピングテープもガムテープもなし。いざとなればザックの口紐という手もあるが、一度とってしまったら後が面倒だから、手ぬぐいを裂いて使うことにした。
応急処置後、歩き始めるとすぐに今度は左足の靴底もバタバタいいだした。友達が昔言っていたのを思いだした、何年も履かなかった靴で山登りをしたら靴が崩壊して困ったと。こういうことかぁ。やはり手ぬぐいで応急処置。そうこうするうち、二本目の沢の渡渉点では右足の靴底が全部剥がれ、それを処置しなければならないはめに陥った。ストックの先をライターで熱し、靴底の薄い部分に穴をあけ、手ぬぐいの紐を通し靴と固定する。何度か修理するうちに、手ぬぐいは水でぬらして固く縒ったほうがいいという知恵もついた。でもこの先どうしよう、靴がこんなじゃなぁ、戸沢に戻って待っていようか、それとも本谷の・・・、いやいや、そんなに長い行程ではないし、たとえ靴底が無くなったとしても裸足になるわけではない、このまま予定どおり進むとしよう。
そうこうするうち、三本目の沢が現れた。ちょっと待てよ、地図では3つめの沢っちゅうとセドノ右俣じゃん。これ渡っちゃったらだめじゃん。おかしいなぁ、どこで間違えたんだろう。じゃこのまま沢を詰めても巻き道はあるだろうし詰めてみるか、と歩き出した。けれどやはり崩壊した靴にはゴーロはきつかった。やっぱり登山道を歩こう。ということは、この左尾根に書策新道があるわけで、左によじ登ればいいわけで、とめちゃくちゃな考えを行動に移したのだった。ここからが「なつ子新道」の始まりなのである。
尾根に登ると踏み跡らしきものがあった。よかったよかったと進んでいくと、だんだん様子がおかしくなりだした。ま、いっか、と進んでいくと更に様子がおかしくなりだした。違う、書策新道ではない。後で確認して解ったことだが、そこは木ノ又大日沢とセドノ左俣との間の尾根であったのだ。左足の靴底も完全に剥がれた。処置をしながら考える、どーしよー。危ういところもあったから、私には、戻るのはもっと危険だよなー。でもこの先、岩なんか出てきちゃったら登れる? 追い討ちをかけるようにあたりには霧がたちこめてきて、だんだん心細くなってきた。でも、行くしかないよな。また歩き始めた。完全にヤブ山世界への突入となる。笹数本たよりのよじ登りが続く。岩も一つだけ現れたがそれは容易く乗り越えられた、ラッキー。山って不思議だね、尾根が見えてきて、もうすぐそこが目指す尾根かと思うと、また違う尾根が見えてくる。そんながっかりを何度も繰り返すうち、ひょっこりと登山道にでた。やったぁ!
女性が歩いていたので道を確認した、
「すみません、塔ノ岳はこっちでいいんですよね」
歩くとすぐに木ノ又小屋が現れた。やれやれとベンチに腰をおろし昼食をとりはじめた。すると先程の女性も到着し、わたしにこう尋ねた。
「どこから登っていらっしゃったのですか?」
なんでも、変な所からひょっこり現れたので不思議だったのだそうだ。そりゃそうかも知れない。沢登りの格好をしているわけでもなく、軽いハイカー姿のおばさんが、変な紐でガシガシに巻かれた靴を履いて妙な所から出現し、しかも道まで尋ねられたわけだから。適当な返事をしたついでに、もう少し変なおばさんを印象づけて差し上げることにした。
「すみません、今何時ですか?」
これで決定的だな。なんせ、時計さえも持っていないことを教えてあげたわけだから。
休憩を終え、歩き出す。二本ストックは私には心強い友だ。足が悪いのが判明してから、これだけは手放せない。長さとか使い方とか指導されるが、バランスをとるのではなく、体重をかけてしまう癖がついてしまっていて、もうこの使い方は直せない。早い話、四足で歩いているのだ。まあそのおかげもあって、何人かちゃんと抜いて歩けた。塔ノ岳を経て、花立に到着。そこでまた人に時間を聞き、間に合ったのを知った。一番乗りだ。なんだ、靴の崩壊とヤブ山がなかったら待ち時間がありすぎて困っちゃったわけね、などと妙な喜びかたをする。しばらくしてモロちゃんが現れ、次に小笠原さんがやってきた。次第に皆の顔が集まりだした。集中って楽しいですね、嬉しいものですね。靴の崩壊を知って、西舘(彰)さんがテーピングテープを差し出してくれたので、ありがたく使わせて頂いた。これで下山は万全だ。
小笠原さんと下山を始めた。天神尾根へ入るとき後続の男性に先を譲ったのだが、なんでも足の調子がよくなく、私たちのペースがちょうどいいのでどうぞ先を歩いてくださいと言う。涼やかな顔立ちの青年だったのでちょっぴり嬉しくもあったのだが、しばらくして妙な考えが私の頭を捉えだした。待てよ、いくらおばさんだと言ってもワシラは女性だ。山の中で知らない男性と一緒に歩くのは気をつけたほうがいいぞ。そうだ、いざとなったらストックを武器にしよう。わたしって、やっぱり変なおばさんでしょうか。そのうち、ダダダーッと駆け降りてくる二人連れが私たちの傍らで止まり挨拶をしてきた。なんと古屋さんと橋本さんであった。超特急で下山し、家に戻り車を置き、また電車で渋沢に戻り反省会に参加するのだという、素晴らしい仲間思いの行動であったことを後に知った。拍手。二人はまた、ましらのごとく駆け降りていった。その後、変なおばさんの心配をよそに、何事も無く天神尾根を終え戸沢の駐車場へたどり着き、件の青年と挨拶を交わす。そして小笠原さんの安全運転で反省会会場へと向かった。
何度も歩いていたはずの書策新道であるにもかかわらず道を見失ったのは、いつも他人任せの山行であったこと、石につけられた印さえ見逃してしまうようないい加減さであること、小さい枝沢なんぞいつ現れては消えるとも知れず、ハイキングマップではなく二万五千分の一の地形図で読み取れなければいけないこと、要するにハイキングもまともにできない超シロートであることが判明した、とてもありがたい山行でした。にもかかわらずです、しっかとMSC復帰を心に決めた山行でもあったのでした。ああ、この先が思いやられるわ。こんな私ではございますが、どうかみなさま、よろしく御願い候也。