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日程:2009年8月7日(金)?11日(火)
山域:北海道 忠別川支流クワウンナイ川遡行、大雪山縦走
山行形態:沢登り、縦走
メンバー及び役割:CL/門脇、SL装備/木村、食当?/大浦、食当?/西村、食当?記録/平川
記録:
計画倒れに終わった昨年の教訓を生かし、今年は早々と木村さんが準備を進めてくれたおかげで、2年越しのクワウンナイ川は大成功に終わった。メンバーとしても思い付きで行けるような山岳ではなく、周到な準備と事前調査が成功に結びついた結果と言える。7月に起こった稜線での不幸な事故や、過去には増水による事故が多発している事から、一応入渓には慎重な判断が必要とされていた。しかし入渓の数日前から当面の間は降雨の心配は無さそうで、撤退の多いこの沢を初見で遡行出来るという幸運に恵まれた。(実際にメンバーの大浦さんは過去に3度撤退しているとの事であった) また、沢のついでに・・と言うには余りにボリュームが有りすぎる縦走も、中々本州の山岳では味わえない、価値のある山行になった。(MSC会員暦の長い西村さんにして、入会してこんなに歩いたのは初めて…とのことであった)
7日(金)の早朝6時20分にはメンバー4名が羽田に集合した。大浦さんは一足先に現地入りしており、ガソリンなどの調達を済ませて入渓点の天人峡で待ち合わせている。木村さんは門脇工場に前泊し、門脇さんを空港に連れてくるという大役を担っている。西村さんは新調したザックで登場して嬉しそう。大きなザックを見ながら自分も嵩張るシュラフを迷わず新調してくれば良かったと思っていた。お盆の休みがスタートしたばかりの空港はかなり混雑している。荷物を預ける際にふと、カプサイシンスプレーがザックに入っていることを喋ってしまい、廃棄せざるを得なくなったのは痛かった。
7:40発のADO旭川行きは、ほぼ定刻の9:30旭川に到着。思っていたより気温が高いが、さすがに北海道はからりとして気持ちがいい。私自身は夏風邪上がりで完全な体調では無かったが、この気候で一気にテンションが上がった。
予約のタクシーで天人峡へ向かう。途中のスーパーで買い物もする。長閑な風景の道は蕎麦の花が綺麗だ。入渓点には10:40着。大浦さんともここで合流してメンバー5名が顔をそろえた。タクシーに不要な荷物を下山後に泊まる宿舎にデポしてもらえるよう頼んで11:20、念願のクワウンナイに入渓となった。(タクシー代は諸々で1万円)
はっきりとした踏跡を10分ほど歩き、ポンクワウンナイ川の出合いから沢の中を歩く。心配していた水量はかなり少ないと思われる。(全体を通して膝上から足の付け根位の渡渉が多く、腰まで浸かる所はわずか)門脇さん先頭で、ここからは5?10m位の川幅を何度となく渡渉を繰り返して遡行する。水量は少ないとはいえ、重い荷を背負っての渡渉はやはり緊張させられたが、沢慣れしているメンバー中心で渡渉はスムーズだ。適度な水温も照りつける日差しに丁度良い。
地形図上にも見られるインゼルが多い渓相は、両側の地形も合わせて観察しておかないと、二俣と勘違いしそうになる。いくら歩いても高度の上がらない河原を歩き、16:30に1日目の遡行を終了した。ここまでに出会ったパーティーは我々の他に2組。そのうち1組はガイド山行のようにも見られた。初日の幕場は予定していたカウン沢出合いまでは1時間ほど手前と思われるインゼル地形の中洲で薪も多く快適な幕場だ。ここで木村/平川がオショロコマを狙って竿を出す。餌はブドウ虫を用意してきた。(川虫も豊富なので餌の持参は不要であった)その1投目でそれぞれ1匹ずつGETした。それからはほぼ入れ食い状態。型はかなり小さいので大きめの物以外はリリースする。岩魚は難しい魚ではないが、オショロコマはヤマメ系の魚なので釣るのは難しいと思っていただけに拍子抜けした。5mの竿を新調してきた木村さんは暫くの間、自称『渓流釣りの天才』を豪語するだろう。焚き火でじっくり焼いたオショロコマと大浦さんが用意したジンギスカンは最高の沢飯であった。熊よけの爆竹を鳴らして早々と就寝。
2日目も快晴。ちょっと遅めの7:00に幕場を後にした。8:10にカウン沢出合いに到着。この出合いに泊まるパーティーは多いようだ。この出合いから45分ほど遡行した所に魚留めの滝がある。今回の沢で初めての滝らしい滝で、幅広の大きな釜を持つ見ごたえのある滝である。これを左岸から巻き上がるといよいよ現れるのが滝の瀬13丁と呼ばれるクワウンナイのポイントだ。これは全く見事なナメだった。水量豊かな20m位の沢幅いっぱいのナメが延々2kmも続くのだ。『やはり北海道の谷は日本の渓ではないな』と思った。ウオータースライダーなど遊びながら遡行し、ハングの滝が現れた所で巨大なナメは終了する。巻き道は右岸の泥壁を登り、5m位の残置ロープをごぼうで強引に超える。
次の二俣は両門の滝になっており中々のビューポイント。左俣の本流を詰めると奥の二俣で崩壊した雪渓が現れた。今回は雪渓処理も想定していたが、結果的に雪渓が残っていたのはここだけであった。ここまで来ると沢はやっと源頭の様相になってきた。沢を忠実に詰めるとやがて水は枯れ沼地が現れだす。この沼の脇で幕を張り、昼寝をしているパーティーがいた。何とも羨ましい光景。真似したい衝動を抑えながら最後の露岩帯を登る。
周囲でナキウサギが鳴き、いよいよ稜線が近い事を物語る。その稜線には14:50にぽっかりと出てしまった。天候にも恵まれ、実に良い沢旅が出来たものだった。ここまで持ってきた2本のロープを始め、ガチャは結局使うことがなかった。大休止して予定のひさご沼は明日の予定の効率を考え、トムラウシ北沼のテン場に変更した。最後のひと登りをして北沼には15:40着。ここの雰囲気もまた素晴しい。静かな沼のほとりに我々の幕が二張りのみ。煮沸は必須だが水の確保も困らない。(沢の水で少々腹痛はあったが・・。)ただ、テントを張り終えて気が付いたのは、先の遭難事故で犠牲者の一人が正にこの場所で倒れたことを物語る線香が足元に有ったことだ。確かに全体を通してこの稜線上は風雨にあったら目標を失い、吹きさらしの中でかなり厳しい状況になるだろう。追悼の意を表し合掌。
テント内で西村さん食当のカレーうどんを食べている時、突然キタキツネが現れて食材を入れた袋を咥えて走り出した。あわてて威嚇した所で、食材を放棄して逃げて行ったが全く油断もすきもない。沢と違って焚き火はないが北海道は稜線のテン場もそれなりに楽しい。酒も明日の分を僅かに残して就寝。
8/9は朝4:30起床。北海道の朝は早い。カレー味のマルタイを食べ、6:00に荷物をデポしてトムラウシに登った。30分ほどで山頂に着く。もちろん今日も快晴で遮るものの無い360度の景観は誠に素晴しい。
ここで十勝に向かう大浦さんと別れ、残りの4名はザックを回収してここからは後半戦の大雪連峰を縦走することになる。(計画通りの縦走は内心嫌だなと思っていたが、トムラウシから見る計画末端の旭岳を見て気持ちが変わった)幕場に戻って8:00にスタートした。途中のひさご沼は稜線からかなり下った所に見えた。雰囲気は良さそうだが登り返しを考えるとひさご沼はパスして正解。
化雲岳には10:15着。直接下山する道のある最後の分岐点である。ここを過ぎたら旭岳まで下山は出来ない。門脇さんが足を故障しているので様子を見たが、『何とかなりそう』との事。今日は行ける所まで行ってビバークすることにした。次のピークである五色岳まではトラバース気味にハイマツの中を行くが、ヒグマのフンが随所に見られた。この稜線は登山道を覆うハイマツの中を歩く箇所が非常に多く、これが何とも歩き難い。引っかかったり跳ね返されたり体力を消耗させられる。
五色岳を12:00に通過し、忠別岳には14:00に着いた。距離的にはトムラウシと旭岳までの中間点僅か手前のようで、どちらも彼方に見える。忠別岳では多くの登山者が休んでいたが、ヘルメットとロープの括り付けられた我々のザックを見て『クワウンナイですか?』と羨望のまなざしで見られる。『いつかは行ってみたい』、『羨ましい』と山行中、何度となく声を掛けられた。
本日予定していた白雲岳の幕場までは時間的に無理と考え、1時間の距離にある忠別沼に適地がある事を期待する。その忠別沼は15:00着。先行した木村さんが木道脇の適地にザックを置いて休んでいるのが後方から見えた。着いてみればここもまた素晴しい所。少々クマの出没を警戒しなければならない所だが、それを除けばこんなに素晴しい所は無い。
小休止して幕営準備に取り掛かる。暗くなりかけて食事をしていると、外から熊よけの鈴の音がする。この時間にこの場所で登山者か?と外を見るとジーパンにスニーカーの青年が足早に歩いてくる。背中には小さなデイパックと肩からはトートバックなど持っており、明らかに場違いな装備で夕闇の中をこの先2時間は掛かると思われる次の避難小屋までの行程が案じられた。食事を終えると他にすることも無い。エゾ鹿の鳴き声を聞きながら19:00には寝てしまった。
8/10、最終日。今日で山を降りてしまうという名残惜しさと、温泉でさっぱりしてビールが飲めるという楽しみが交錯した複雑な目覚めだった。もちろん今日も快晴。4日間、本当に天気には恵まれた。今日の行程は最終日にして、これまでで一番長い10時間行動になる。簡単に朝食を済ませて6:00に行動を開始した。ひと山乗越すと高根ヶ原という平坦な地形になり、高山植物が咲き乱れる素晴しい所になる。
緩やかな登りに差し掛かると白雲岳避難小屋が見え始める。その小屋には9:00に到着した。雪渓から流れ出す水場の水は冷たくて最高だった。忠別沼で汲んだ黄色く濁った水と入れ替えることにする。小屋からは僅かな登りで稜線の分岐に出ることが出来る。雪渓を歩いて一度鞍部に降り、登り返した所が北海岳。時刻は11:20。御鉢平を挟んで黒岳が立派に見えた。あと1泊して目の前のお鉢廻りをしたら完璧な縦走になるなと思った。
間宮岳には12:30に到着。ここを下ればあとは旭岳を残すだけだ。その旭岳は最後にして最悪であった。登りは滑り落ちそうなザレた急登で短い時間だが嫌な所だ。山頂には14:10着。最後の最後にしてガスで展望が無く、はるか彼方になった筈のトムラウシが眺められず、これが心残りになった。
下りは傾斜は緩いものの登り同様にザレた火山性の道でとても歩き難い。門脇さんはここまで通しで沢靴を履いており、フラットの底では最悪の条件だったようだ。
ロープウエイの姿見駅には16:00着。長かった山旅もようやく終わった。先ずは地ビールで4日間の山行に乾杯!これが最高に美味かった。それもその筈、連日9時間以上の行動を晴天の中でしてきたのだから…(まあ、これは相当贅沢なことではある)
今日の宿、『ヌタプカウシペ』はロープウエイから500mにある雰囲気の良いロッジだ。到着して先ずは温泉、そして西村さんが帳場からビールを持って来てくれた。栓を抜くのもまだるっこく一気にビールを流し込む。全身の全細胞に染み渡る美味さだった。山に入っている時間が長かったため、世間では地震、台風、ノリピー逮捕と随分状況が変わっていたが、隔世の中でのん気に遊ぶのも中々楽しい。美味い食事と、さんざんビールを飲んで気持ち良い眠りについた。
8/11。今日はいよいよ帰京する日。西日本は大雨で大変だというのに北海道は相変わらず快晴。名残惜しくて台風で飛行機が飛ばなければ良いのに・・などと本気で考えたりした。12:50の飛行機までの時間を有効に過ごそうと、旭山動物園に行くことにした。時間は僅かであったが話題のスポットにも立ち寄れ、お土産も買い込んで、楽しい想い出に花を添えることが出来た。また最後は北海道らしいモノを食おう!ということで地元の人気店でジンギスカンを食べ、お土産に地元の民が愛用するジンギスカン鍋もめいめいで購入した。
このようにして、『やれる事はすべてやりました山行』 は大成功に終わり、この記録を書いている2週間後もまだ余韻に浸っている状態だ。あのトムラウシから見た幾つかの山々に登る機会を是非また作り、再訪したいと考えている。
羽田には14:50着、木村/平川はちょっとのつもりで工場に寄ったが、タッチの差で帰宅遭難に陥る所であった。
山域:北海道 忠別川支流クワウンナイ川遡行、大雪山縦走
山行形態:沢登り、縦走
メンバー及び役割:CL/門脇、SL装備/木村、食当?/大浦、食当?/西村、食当?記録/平川
記録:
計画倒れに終わった昨年の教訓を生かし、今年は早々と木村さんが準備を進めてくれたおかげで、2年越しのクワウンナイ川は大成功に終わった。メンバーとしても思い付きで行けるような山岳ではなく、周到な準備と事前調査が成功に結びついた結果と言える。7月に起こった稜線での不幸な事故や、過去には増水による事故が多発している事から、一応入渓には慎重な判断が必要とされていた。しかし入渓の数日前から当面の間は降雨の心配は無さそうで、撤退の多いこの沢を初見で遡行出来るという幸運に恵まれた。(実際にメンバーの大浦さんは過去に3度撤退しているとの事であった) また、沢のついでに・・と言うには余りにボリュームが有りすぎる縦走も、中々本州の山岳では味わえない、価値のある山行になった。(MSC会員暦の長い西村さんにして、入会してこんなに歩いたのは初めて…とのことであった)
7日(金)の早朝6時20分にはメンバー4名が羽田に集合した。大浦さんは一足先に現地入りしており、ガソリンなどの調達を済ませて入渓点の天人峡で待ち合わせている。木村さんは門脇工場に前泊し、門脇さんを空港に連れてくるという大役を担っている。西村さんは新調したザックで登場して嬉しそう。大きなザックを見ながら自分も嵩張るシュラフを迷わず新調してくれば良かったと思っていた。お盆の休みがスタートしたばかりの空港はかなり混雑している。荷物を預ける際にふと、カプサイシンスプレーがザックに入っていることを喋ってしまい、廃棄せざるを得なくなったのは痛かった。
7:40発のADO旭川行きは、ほぼ定刻の9:30旭川に到着。思っていたより気温が高いが、さすがに北海道はからりとして気持ちがいい。私自身は夏風邪上がりで完全な体調では無かったが、この気候で一気にテンションが上がった。
予約のタクシーで天人峡へ向かう。途中のスーパーで買い物もする。長閑な風景の道は蕎麦の花が綺麗だ。入渓点には10:40着。大浦さんともここで合流してメンバー5名が顔をそろえた。タクシーに不要な荷物を下山後に泊まる宿舎にデポしてもらえるよう頼んで11:20、念願のクワウンナイに入渓となった。(タクシー代は諸々で1万円)
はっきりとした踏跡を10分ほど歩き、ポンクワウンナイ川の出合いから沢の中を歩く。心配していた水量はかなり少ないと思われる。(全体を通して膝上から足の付け根位の渡渉が多く、腰まで浸かる所はわずか)門脇さん先頭で、ここからは5?10m位の川幅を何度となく渡渉を繰り返して遡行する。水量は少ないとはいえ、重い荷を背負っての渡渉はやはり緊張させられたが、沢慣れしているメンバー中心で渡渉はスムーズだ。適度な水温も照りつける日差しに丁度良い。
地形図上にも見られるインゼルが多い渓相は、両側の地形も合わせて観察しておかないと、二俣と勘違いしそうになる。いくら歩いても高度の上がらない河原を歩き、16:30に1日目の遡行を終了した。ここまでに出会ったパーティーは我々の他に2組。そのうち1組はガイド山行のようにも見られた。初日の幕場は予定していたカウン沢出合いまでは1時間ほど手前と思われるインゼル地形の中洲で薪も多く快適な幕場だ。ここで木村/平川がオショロコマを狙って竿を出す。餌はブドウ虫を用意してきた。(川虫も豊富なので餌の持参は不要であった)その1投目でそれぞれ1匹ずつGETした。それからはほぼ入れ食い状態。型はかなり小さいので大きめの物以外はリリースする。岩魚は難しい魚ではないが、オショロコマはヤマメ系の魚なので釣るのは難しいと思っていただけに拍子抜けした。5mの竿を新調してきた木村さんは暫くの間、自称『渓流釣りの天才』を豪語するだろう。焚き火でじっくり焼いたオショロコマと大浦さんが用意したジンギスカンは最高の沢飯であった。熊よけの爆竹を鳴らして早々と就寝。
2日目も快晴。ちょっと遅めの7:00に幕場を後にした。8:10にカウン沢出合いに到着。この出合いに泊まるパーティーは多いようだ。この出合いから45分ほど遡行した所に魚留めの滝がある。今回の沢で初めての滝らしい滝で、幅広の大きな釜を持つ見ごたえのある滝である。これを左岸から巻き上がるといよいよ現れるのが滝の瀬13丁と呼ばれるクワウンナイのポイントだ。これは全く見事なナメだった。水量豊かな20m位の沢幅いっぱいのナメが延々2kmも続くのだ。『やはり北海道の谷は日本の渓ではないな』と思った。ウオータースライダーなど遊びながら遡行し、ハングの滝が現れた所で巨大なナメは終了する。巻き道は右岸の泥壁を登り、5m位の残置ロープをごぼうで強引に超える。
次の二俣は両門の滝になっており中々のビューポイント。左俣の本流を詰めると奥の二俣で崩壊した雪渓が現れた。今回は雪渓処理も想定していたが、結果的に雪渓が残っていたのはここだけであった。ここまで来ると沢はやっと源頭の様相になってきた。沢を忠実に詰めるとやがて水は枯れ沼地が現れだす。この沼の脇で幕を張り、昼寝をしているパーティーがいた。何とも羨ましい光景。真似したい衝動を抑えながら最後の露岩帯を登る。
周囲でナキウサギが鳴き、いよいよ稜線が近い事を物語る。その稜線には14:50にぽっかりと出てしまった。天候にも恵まれ、実に良い沢旅が出来たものだった。ここまで持ってきた2本のロープを始め、ガチャは結局使うことがなかった。大休止して予定のひさご沼は明日の予定の効率を考え、トムラウシ北沼のテン場に変更した。最後のひと登りをして北沼には15:40着。ここの雰囲気もまた素晴しい。静かな沼のほとりに我々の幕が二張りのみ。煮沸は必須だが水の確保も困らない。(沢の水で少々腹痛はあったが・・。)ただ、テントを張り終えて気が付いたのは、先の遭難事故で犠牲者の一人が正にこの場所で倒れたことを物語る線香が足元に有ったことだ。確かに全体を通してこの稜線上は風雨にあったら目標を失い、吹きさらしの中でかなり厳しい状況になるだろう。追悼の意を表し合掌。
テント内で西村さん食当のカレーうどんを食べている時、突然キタキツネが現れて食材を入れた袋を咥えて走り出した。あわてて威嚇した所で、食材を放棄して逃げて行ったが全く油断もすきもない。沢と違って焚き火はないが北海道は稜線のテン場もそれなりに楽しい。酒も明日の分を僅かに残して就寝。
8/9は朝4:30起床。北海道の朝は早い。カレー味のマルタイを食べ、6:00に荷物をデポしてトムラウシに登った。30分ほどで山頂に着く。もちろん今日も快晴で遮るものの無い360度の景観は誠に素晴しい。
ここで十勝に向かう大浦さんと別れ、残りの4名はザックを回収してここからは後半戦の大雪連峰を縦走することになる。(計画通りの縦走は内心嫌だなと思っていたが、トムラウシから見る計画末端の旭岳を見て気持ちが変わった)幕場に戻って8:00にスタートした。途中のひさご沼は稜線からかなり下った所に見えた。雰囲気は良さそうだが登り返しを考えるとひさご沼はパスして正解。
化雲岳には10:15着。直接下山する道のある最後の分岐点である。ここを過ぎたら旭岳まで下山は出来ない。門脇さんが足を故障しているので様子を見たが、『何とかなりそう』との事。今日は行ける所まで行ってビバークすることにした。次のピークである五色岳まではトラバース気味にハイマツの中を行くが、ヒグマのフンが随所に見られた。この稜線は登山道を覆うハイマツの中を歩く箇所が非常に多く、これが何とも歩き難い。引っかかったり跳ね返されたり体力を消耗させられる。
五色岳を12:00に通過し、忠別岳には14:00に着いた。距離的にはトムラウシと旭岳までの中間点僅か手前のようで、どちらも彼方に見える。忠別岳では多くの登山者が休んでいたが、ヘルメットとロープの括り付けられた我々のザックを見て『クワウンナイですか?』と羨望のまなざしで見られる。『いつかは行ってみたい』、『羨ましい』と山行中、何度となく声を掛けられた。
本日予定していた白雲岳の幕場までは時間的に無理と考え、1時間の距離にある忠別沼に適地がある事を期待する。その忠別沼は15:00着。先行した木村さんが木道脇の適地にザックを置いて休んでいるのが後方から見えた。着いてみればここもまた素晴しい所。少々クマの出没を警戒しなければならない所だが、それを除けばこんなに素晴しい所は無い。
小休止して幕営準備に取り掛かる。暗くなりかけて食事をしていると、外から熊よけの鈴の音がする。この時間にこの場所で登山者か?と外を見るとジーパンにスニーカーの青年が足早に歩いてくる。背中には小さなデイパックと肩からはトートバックなど持っており、明らかに場違いな装備で夕闇の中をこの先2時間は掛かると思われる次の避難小屋までの行程が案じられた。食事を終えると他にすることも無い。エゾ鹿の鳴き声を聞きながら19:00には寝てしまった。
8/10、最終日。今日で山を降りてしまうという名残惜しさと、温泉でさっぱりしてビールが飲めるという楽しみが交錯した複雑な目覚めだった。もちろん今日も快晴。4日間、本当に天気には恵まれた。今日の行程は最終日にして、これまでで一番長い10時間行動になる。簡単に朝食を済ませて6:00に行動を開始した。ひと山乗越すと高根ヶ原という平坦な地形になり、高山植物が咲き乱れる素晴しい所になる。
緩やかな登りに差し掛かると白雲岳避難小屋が見え始める。その小屋には9:00に到着した。雪渓から流れ出す水場の水は冷たくて最高だった。忠別沼で汲んだ黄色く濁った水と入れ替えることにする。小屋からは僅かな登りで稜線の分岐に出ることが出来る。雪渓を歩いて一度鞍部に降り、登り返した所が北海岳。時刻は11:20。御鉢平を挟んで黒岳が立派に見えた。あと1泊して目の前のお鉢廻りをしたら完璧な縦走になるなと思った。
間宮岳には12:30に到着。ここを下ればあとは旭岳を残すだけだ。その旭岳は最後にして最悪であった。登りは滑り落ちそうなザレた急登で短い時間だが嫌な所だ。山頂には14:10着。最後の最後にしてガスで展望が無く、はるか彼方になった筈のトムラウシが眺められず、これが心残りになった。
下りは傾斜は緩いものの登り同様にザレた火山性の道でとても歩き難い。門脇さんはここまで通しで沢靴を履いており、フラットの底では最悪の条件だったようだ。
ロープウエイの姿見駅には16:00着。長かった山旅もようやく終わった。先ずは地ビールで4日間の山行に乾杯!これが最高に美味かった。それもその筈、連日9時間以上の行動を晴天の中でしてきたのだから…(まあ、これは相当贅沢なことではある)
今日の宿、『ヌタプカウシペ』はロープウエイから500mにある雰囲気の良いロッジだ。到着して先ずは温泉、そして西村さんが帳場からビールを持って来てくれた。栓を抜くのもまだるっこく一気にビールを流し込む。全身の全細胞に染み渡る美味さだった。山に入っている時間が長かったため、世間では地震、台風、ノリピー逮捕と随分状況が変わっていたが、隔世の中でのん気に遊ぶのも中々楽しい。美味い食事と、さんざんビールを飲んで気持ち良い眠りについた。
8/11。今日はいよいよ帰京する日。西日本は大雨で大変だというのに北海道は相変わらず快晴。名残惜しくて台風で飛行機が飛ばなければ良いのに・・などと本気で考えたりした。12:50の飛行機までの時間を有効に過ごそうと、旭山動物園に行くことにした。時間は僅かであったが話題のスポットにも立ち寄れ、お土産も買い込んで、楽しい想い出に花を添えることが出来た。また最後は北海道らしいモノを食おう!ということで地元の人気店でジンギスカンを食べ、お土産に地元の民が愛用するジンギスカン鍋もめいめいで購入した。
このようにして、『やれる事はすべてやりました山行』 は大成功に終わり、この記録を書いている2週間後もまだ余韻に浸っている状態だ。あのトムラウシから見た幾つかの山々に登る機会を是非また作り、再訪したいと考えている。
羽田には14:50着、木村/平川はちょっとのつもりで工場に寄ったが、タッチの差で帰宅遭難に陥る所であった。